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ファミリーヒストリー いとうあさこ 祖父・啓介と渋沢栄一、日本煉瓦製造株式会社

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伊藤家

伊藤新作とは

マサチューセッツ州フィリップスアカデミー卒業後、雑貨商を営む。帰国。経歴に目を付けた渋沢栄一は当時、日本煉瓦製造株式会社を設立。新作を招き入れる。初代営業部長。新作は高品質にこだわり、東京駅、赤坂離宮、丸の内ビル内の建設に煉瓦を施す。一丁倫敦(ろんどん)と呼ばれる。大正8年死去。同会社は平成18年まで存続。

祖父・啓介

元は吉田姓。曾祖父・正治は役所勤めだったが48歳で急逝。子どもたちは医師・幾瀬量をたよる。啓介は次男。量の先輩・伊藤家へ養子に入る。新作の妻、乃ふ「旧制高校を出たら、私の養子にする」

父・新造は冨士銀行取締役。食事の時は四合瓶を二人で1本。夕飯前にまず1杯。ブランデー1杯とか。

田嶋家

スチールサッシ

江戸中期から東本願寺に仕えた侍。寺侍だったが、幕末、宇太郎が花見酒の帰りに地蔵を飛び越えようとしてケガ。足が不自由になり寝たきりに。明治28年死去。曾祖父・勝次郎が時計修理をしながら家族を支える←発明好きだが生活に結びつかず

勝次郎の長男・壹号(いちごう)

父に似て発明好き。大正3年、日本で最初のスチールサッシを発明。輸入するしかなかったのを自分で作り、商品化に成功。

四男・恩(祖父・めぐみ)

大東工業副社長。木目調以外のスチール家具。三越呉服店、東京帝国大学、小樽銀行、青淵文庫(←渋沢栄一80歳の記念に建てられた)
田嶋恩 - Wikipedia

譲太郎(恩の孫)、譲二(恩の次男)が継ぐ。

譲太郎さん:石造りのオフィスビル。丸の内とかに建ち始めていたんですが、そのオフィスビルですら(関東大震災で)火事の被害を受けていると。原因は、内装が木製品であったり、家具も木でできていたり。本当に中が丸焼けという状況だったようですね。何とか燃えない家具を作って世に出さないといけないという

譲二さん:それがスチール家具の日本の始まりですよ。今度買いなおすんであれば、焼けないものを。そこでスチール家具の発想が出たんですよ

あさこの母・美惠は恩の三女。