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ファミリーヒストリー 千鳥ノブ 早川のカヤ

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早川家(父方

先祖

宮氏に仕えていたが、毛利元就率いる軍勢に破れ、備中へ落ちのびる。岡山県井原市芳井町に早川姓は約20軒。ノブんちが本家。永禄元年、この地に移り住んだ。屋号は池ノ内。芳井町坂本地区。(※2019.10.12追記 早川一族の方からブコメいただきました。坂井ではなく坂本。ごめんなさい。そしてありがとうございました。お詫びして訂正します)カヤの木の前に家を構える。江戸時代以降は戦がなくなり、農民になる。
火縄銃を所有していたのは18軒。親戚同士を「株内」(かぶうち)と呼び、助け合っていた。

早川のカヤ

早川のカヤは指定重要文化財。樹齢450年以上。※突撃カネオくんでも言ってたような
10年前、周辺の建設工事のため、カヤの木の一部を切ることになったが、父は「これだけ拝んだ木を切るなら、太夫(神宮)さんに頼んでお祓いを受けて切らんと過ちが起きる」と言ったが、従業員が無視して切り始めたところ、滑り落ちて怪我をした。

「そんなことは迷信じゃ」云うて、元気のいいお兄さんが、今度は手をノコで、どんな格好したか知らんけど。手のひらバサっと切って。「言うこと聞かんからそうなるんじゃ」もう4~5人おった従業員さんが恐れてしまってですね...

4代前の利市さんは酒好きで、先祖代々の財産をなくす。長男孟二さんが「本家を立て直す」と農作業だけでなく博労(※牛や馬の仲買商人)をはじめ、田畑を取り戻す。
昭和7年、祭りで振舞う天ぷらを揚げていた二軒隣の家から出火。草屋だったため早川家も全焼。カヤの木にも燃え移った。ところが半年後の春、新芽が出た。

孟二さんの息子、正(まさし)さんは昭和10年結婚。3人の女の子が生まれる。昭和19年、34歳の時に召集令状。補充兵。通称鯨部隊。豹を飼っていた。大佐は小柴俊男さん。(息子はノーベル物理学者・小柴昌俊さん)大陸打通作戦

正さんはマラリアに罹患。生死の境を彷徨う。終戦を迎え、ふるさとに戻る。すぐに博労に復帰。勝治さん(ノブの父)誕生。博労から養豚に切り替える。

高校卒業後は織物工場に就職。「田舎の子はよう歩いて体ができとるから」と千代子さんを紹介される

三宅家(母方

高梁市。5代前は高瀬舟の船頭として大きな財を築いた。積載量は米百俵。浅瀬は船を担ぎ上げて登っていた。明治になり次代になると、近隣の山を買い占め、松茸を広島や大阪の料亭に出荷していた。
大正11年、昭夫さん(ノブの祖父)誕生。20歳で結婚。翌年、召集令状。歩兵第78聯隊。朝鮮半島からニューギニアに送られる予定だった。上等兵に昇進。射撃訓練の最中、同じ部隊の兵士が撃った弾丸が大腿部を貫通。陸軍病院に入院。ほかの戦士はニューギニアに送り込まれる。退院後は補充兵の教育係。終戦、復員。

千代子さん(ノブの母)誕生

近所の宮田さんの話:(母・千代子さんを)クセはないけど頭はええ人です。学校で一番ばかりとりよった。

高校卒業後、実感農業を手伝っていた時に勝治さんとの見合い話。昭和47年結婚。夫が織物工場にいるあいだは農作業を。
「百姓はさせません、とかいい口上は並べますが」

ノブ:人間万事塞翁が馬、それなんか一喜一憂するなってことなんですけど、馬から落ちたりして怪我したけどそのおかげで戦争行かなかった。僕それこそ5~6年前に聞いて、めちゃくちゃ大事な言葉だなと思って。日々の一喜一憂、あまりしないように生きてきた。まさに同じこと
今田:生命力の強い祖先に守られてるなあ。芸能界でもそうなんよ。
ノブ:M-1、2回最下位ですからね
今田:そうや、大阪戻ろうかまで言ってて
ノブ いまファミリーヒストリーなんですよ。ほんと生命力の家系なんやなと。しぶとい

子供の頃はおとなしかった。芳井小の校長先生ですら「非常にクセの薄い」
今田 ノブは本当に素直な人で、仕事がうまく言ってる人のアドバイスを全部聞こうとする。

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