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人生案内メモ、文字起こし、感想。

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ファミリーヒストリー 仲代達矢 母方の祖父・佐市郎

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仲代家

祖母つねさんが農業を継ぐ。当主はつねの夫。父忠雄(長男)は長竿村からただひとり農学校(現在の茨城県立江戸崎総合高校)進学。甘酒や水飴、当時では珍しいジャムの製造も。卒業後は農家を継がず独立。大正14年、きいと結婚、上京。小作争議や農民運動(昭和8年まで続く)盛んな頃。

圭吾(達矢の弟・シャンソン歌手):長男ですから東京に出るとき、お金をかなり貰ってきたと思うんですよ。それで車を買って、ハイヤー会社を始めたと思うんですけどもね。車屋さんの車置き場の片隅を借りて、そこに入ってやってたみたい

※その後円タク(メーターをつけずに都内を一円で走る流しのタクシー)とって代わられる

昭和4年、忠雄の妻きいが一人娘いくを残し亡くなるが村に戻らず東京にとどまる。翌年、薬屋の娘で20歳の愛子と知り合う。

野口家

祖父佐市郎

日露戦争の後かわからないんだけど、中国人になって地図を作るために入っていったと。あるとき顔を洗うときに、中国人はですね、顔を動かすんですよ。手を動かさないで。それでバレてね、銃殺くうんですけどね。なんか作り話みたいに聞こえるんだけど

明治42年、31歳で亡くなる。

次男・豊の手記が見つかる。麹町の生糸商に勤め、明治37年参謀本部測量技術官養成所へ。
陸地測量部に雇員。旧満州などに配備される。測量に従事していた。

著述家・牛越国昭さん
外務省への説明もですね、測量器具を持っていくのではないんだと、非常に簡単な方向器ですね。歩いた歩幅で正確に距離を測る。実際の地形はほとんど測量者が自分の目で確かめて、スケッチをするわけですね。外務省はこうした秘密測量というのは国際問題にもなるということで、できる限りやめてほしい、あるいは慎重にして欲しいというような要求をしていた。野口は明治42年香港班に所属するわけですが、入り方はいろいろあるんですがこの時は遊歴という感じ。時代がちょっとずれますと有名なのは薬売り、雑穀商であるとか骨董商であるとか。身分を隠してですね、偽って中国各地に入っていく方法を取っていく。
野口の場合には秘密測量ではなく単なる遊歴者ということを、そのまま主張し続けることが出来るわけですね。日本の方は。

佐市郎らが陸地測量部で清書し出来上がった地図が残されていた。

明治42年、広東省麻車村へ。豊の手記では佐市郎は村近くで鉄道施設の建設工事が行われた。川の流れが急で工事が難航。人柱として子供が流されるのではという噂が立つ。「外邦測量沿革史」によればその憶測が流れた3日後、たまたま佐市郎がそこを通りかかったとある。村人たちは鉄道工事が新たに現れたと思い込み、数百人が取り囲む。逃げ出したが命を落とした。

遊歴=[名](スル)各地をめぐり歩くこと。巡歴。歴遊。「諸国を遊歴する」 デジタル大辞泉より

佐市郎の死後、妻リンは故郷栃木に戻り、親戚のすすめで弟・多三郎と再婚。清が生まれる。のちのミルクブラザース。
野口家は豊玉郡(現在の大塚駅周辺)で、野口豊玉堂薬舗を始めたが、多三郎は薬剤師の免許を持っていなかったため、行き詰まる。五反田に引越し、順天堂薬舗として始めるがまたも人手に渡る。今川焼き屋を営業。愛子の生活は楽ではなかった。豊が明治薬学校(現在の明治薬科大学)で薬剤師の資格を得る。銀行から五百円を借りシバ薬局を開業。愛子は手伝っていたが、忠雄と結婚。昭和7年、元久仲代達矢)誕生。昭和16年、父忠雄肺結核で亡くなる。「コイツは悪くなるから気をつけろ」が最期の言葉。

一家は青山にある弁護士事務所の二階に住み込む。港区立青南小学校に小4から転校。山本五十六、阿南陸相の息子もいた。
で、その事務所の偉い人と愛子さんの間に出来た子供が3人。

大人どもが、急に親米派になって。1日で親米派になったんですね。昨日まで何十年も言ってたのに「国のために死ね」言ってた大人どもが平気なゆるキャラになって生きている。この大人に対する不信感が、未だにそれはありますよ

人間って、生まれて生きて死んで行ぬわけですから、いかに生きるべきかということを最近特に思います。
母親ってあまり実感ないんですよ。愛子というのが実感あるんですね。でね、疎開から帰ったとき「あれ、誰?」て聞いたら「お前の弟だよ」唖然としたんですが

人間にしても作品にしても、出会いがいいのは運がいいんですよ

戦争の問題、それから「生きるとは何か」ということをやりたいですね。もう残り少ない人生ですから

俳優座養成所45期生...仲代達矢佐藤慶(2010年没)宇津井健(2014年没)中谷一郎(2004年没)一期下に平幹二朗(2016年没)
達矢という芸名は、射手座の仲代さんに「夢が矢に達する」願いを込めて姉が名付けた

愛子さんは97年、87歳で亡くなる。「新平家物語」の時は「もうこれで死んでもいい」と言った。