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【感想有り】ファミリーヒストリー さだまさし 祖父は国際探偵、祖母エムさんの生涯

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佐田繁治さん(祖父)

陸軍から台湾・台中県の警察官に

台湾で4年間警察官に就いたのち、新疆ウイグル自治区へ派遣。翌年ウラジオストクで萬諜報の通信員を名乗るが、スパイと間違われ連行されそうになり、日本料理屋「松鶴楼」に逃げ込む。女主人(エムさん=祖母)は咄嗟に隣の部屋に匿う(かくまう)。

さだ:この祖母がね、えらい騒ぎの変な人なんですよ。さだが逃げ込んできたんでしょ?読みたいですねこの小説。
※あとでまとめて書籍にして欲しい

繁治さんは大正15年、53歳で死去

エムさん(祖母)

裕福な農家だったが、父が酒で財産を使い果たし、学校へ行かせてもらえなかった。17歳で農家に嫁ぐが姑と小姑から臨月までこき使われる。やっと生まれた男の子は原因不明の湿疹がひどく、治そうと塩湯につけて死なせてしまう。21歳の時、長崎からの定期船でウラジオストクへ。ロシア人家庭の家政婦として働く。6年後再婚するも大正7年、死別。夫の残した財産で、翌年ペキンスカヤに日本料理屋「松鶴楼」を開く(1ヶ月の売上金三千五百円=現在の一千万円)※現在はパスポート発券所。
42歳で繁治と結婚。日本軍が撤退したため樺太・泊居(現在のトマリ)に渡る(松ヶ枝町2丁目/王子製紙近く)

さだ:松鶴楼って名前からしてね、なんか「千と千尋」のあんな家があって

あるとき猪口時計店にソ連兵が押し入り、時計や貴金属を略奪。ロシア語の堪能なエムが「欲しいだけくれてやるから出て行け」一人の兵が「音がしないじゃないか」と耳に当てたのは方位磁石。エムさん「お前馬鹿か、これは磁石だ」ピストルを階段に向けて撃ったがびくともせず「この婆さんには勝てないわ」と言って出て行った

昭和37年、85歳で死去

雅人さん(父)/喜代子さん(母)

昭和2年、泊居尋常小学校入学。昭和9年、母と満州の猪口時計店に。
昭和16年江蘇省塩城地区警備。蒋介石率いる軍から中尉として迎えたいと手紙が来るが、当時の上司・岡本忠から一緒に長崎に帰るよう必死の説得を受け、迷った末帰国。

昭和22年帰国。岡本忠の妹喜代子と昭和27年結婚。岡本家の曽祖父は沖仲仕。岡本組として安定した生活だったが、長男為吉は尺八に魅せられ、財産は減る一方だった。

雅人は材木屋を営むように。復興景気に乗る。まさしが3歳の頃から喜代子はバイオリンを習わせる。昭和32年諫早大水害で被害を被り、多額の負債を抱える。長屋に引っ越す。材木商を再開させようとするもうまくいかず、喜代子も保険の外交を始める。

さだ:為吉か僕。金をちゃんと作ってないんですよ誰ひとり。

ああいうクラシックの練習は、お月謝を行くたびに差し上げるんですよね。高いんですよね。また同じことをやり直しって言うと1週間損するでしょう。一週間分ずっと教えて。2番目と3番目の子は不自由させてますからね。かわいそうでしたよ。それは私はすごく胸が痛い。今も痛みは取れてないですね。

さだ繁理さんという名前には何故か見覚えが。あの目一杯我慢してるような手紙には胸が詰まる。父の遺影をピンクの淵で飾るとは。
それに引き換え(ごめん!)大学時代の金を欲しがるさだまさしの速達。「20円しかない」とかさw今ならさしずめLINEで無心するよね坊主。


グレープ 無縁坂

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大学受験に失敗した話やバイオリンの話は、ミュージックポートレイトで言ってたような。GW中の今夜も生でさだまさし山口県だったので録画して見た。
2019.5.11人生最高レストランにも出てた。ラップ「ねこ背のたぬき」w、長崎の中華街にある「江山楼」のちゃんぽん、北の国から鳥栖駅中央軒のかしわうどん、博多のかろのうどん、日の出製麺所、祖母エムさんのおにぎり、名古屋のステーキハウス「リボン」の話。録画しそびれたんでTverで視聴。その人の愛が感じられる味が美味しい、と。