生い立ち
似顔絵に魅せられた理由
父はNHK大阪放送局に就職。終戦後は東京。自身は中耳炎で右耳が聞こえず、絵を描くのが好きな子どもだった。図画の授業は嫌い。
勉強として絵を描くのは苦痛だったということでしょう。それは子どもの頃から、描くことを仕事にしている現在にいたるまで一貫した気持ちであるように思えます。
小4の担任だった柳内達雄先生は、子供たちを連れて映画の撮影所などを見学させるような型破りで、児童雑誌の編集部と交流があった。
編集部の目にとまり、11歳の時「バカサレタベンケイ」雑誌に掲載される。
清水崑に魅せられる。※黄桜のかっぱですね
清水崑 - Wikipedia
世界のポスター展に影響を受け、多摩美大図案科に入学。「夜のマルグリット」日宣美賞。
宇野亜喜良
学生時代に描いた似顔絵は、似せることを主体にしているけど、これはむしろ造形的。似せることに一生懸命ではなくて、デザイン的な。ある節度でやめている。ピンクなんだけどブルーがちょっと入ってる。少なくとも3色ぐらいがかすかに入っていて、ややにごり系の色彩。ピンクとブルーが隣同士に来ても下品にならない工夫がされてる。
阿川佐和子
いろんなところに描き散らしていたんですって。お母様がそれをちゃんと綴じて一冊の本の形にしてくださったんだそうです。それがすごくよかった。つまり、母親が自分の描いたものをちゃんとまとめて綴じた恩義が忘れられない。ご自身が大人になって、学校で絵の展覧会をすることになった。テーマは「働く人」なぜか息子のだけが貼り出してもらえなかった。何を描いたのかと思ったら怪獣の絵。
息子が帰ってきて「こりゃあ貼り出してもらえなくてもしょうがなかったな」と言うと
「この怪獣の中で人は働いているんだ、撮影所の中で働いているんだ」御子息がおっしゃったんで
「そうか。僕がちゃんと飾ってあげる」一流の額縁で。ご自身の事務所の階段にずっと飾ってらした