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100分de名著 三木清 人生論ノート 幸福とは何か。岸見一郎

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人生論ノートとは

三木清(1897~1945)

昭和13~16年、第二次世界大戦前夜までに雑誌「文學界」に断続的に連載した人生論。小林秀雄から「一般向けの哲学エッセイを書かないか」と言われ連載を始めた。

「死について」に始まり、普遍的な23のテーマについて書かれている。昭和16年に刊行以来、若者を中心に長く読まれてきた。実践の哲学。この本を読んで人生が変わらなければ意味がない。読み終わった時に世界が変わって見えると思えなければ。

哲学書を書き上げることができず断念した三木は人生論ノートを書き始める。

幸福とは何か

国家総動員法の時代

昭和13年、ひとりひとりが個人的な幸福を許されることができなかった。人はどんな状況下でも幸福を求めていいのだ。幸福とは何か、しっかり考えるべきだ。

...むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることが すでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど、今の世の中は不幸に満ちているのではあるまいか。

幸福の要求がすべての行為の動機であるということは、以前の倫理学の共通の出発点であった。現代の哲学はかような考え方を心理主義と名付けて排斥することを学んだのであるが、その時他方において 現代人の心理の無秩序が始まったのである。この無秩序は、自分の行為の動機が幸福の要求であるのかどうか分らなくなった時に始まった。

幸福の要求が今日の良心として復権されなければならぬ。

岸見一郎:言論統制下で書かれたので、あえて持って回った書き方。
伊集院光:ゆっくり落ち着いて読んでみると最近日本で幸福って本全然出てないよね~幸せについて考えちゃいけないみたいな空気になってるよね~みたいなことになってる。 それおかしいよね?自分が幸せになりたいから頑張るで良かったはずなのに、そんなこと考えてる奴は不道徳だみたいな、この空気、なによ?
岸見:三木も言ってるんですけど「本当のことを書こうと思えば狂人になるしかない」そんな時代だったんです。幸福への要求が抹殺されてた時代だと、三木は考えていたんです。
伊集院:今も一周回って「俺幸せになりたいんですよ」っていうと「おい伊集院調子に乗ってんな」
岸見:今の時代のことが書いてあるんじゃないかと思ってしまう。会社のため組織のため、過労死の問題、同調圧力によるいじめ。個人の幸せがないがしろにされている状況は今もあります。ひょっとしたら三木の時代より今の時代のほうがあるかもしれない。

市川猿之助が、正しい姿勢で朗読し、伊集院光の現代語訳でスラスラと頭に入る。既に読んでいたのだがもう一度手に取ろうと街なかのでかい図書館で人生論ノートを探したが、貸し出し中。やっとみつけた三木清全集は古く色褪せ、字が小さく、おそらく猿之助が読んでも全く頭に入ってこないだろうし、彼も読み間違う可能性がある。

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2年前の記事に言及通知行くんだろうな。突然ごめんなさいまし。
でも読んでから別なのにクリップし、ずっと気になってた。

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昭和29年出版の文庫版が108刷。

人生論ノート (新潮文庫)

人生論ノート (新潮文庫)

岸見一郎さんはギリシャ哲学専攻。アドラー心理学でもおなじみ。
小学生の頃、弟と祖父と祖母が次々に亡くなり、死が怖くなったが
それに答えてくれる学問がなかなかないままだった。
たまたま人生論ノートを手にしたら「死」が出てきた。
哲学に入る一つの大きなきっかけを作ったそう。

三木 清『人生論ノート』 2017年4月 (100分 de 名著)

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