虚栄心について
岸見:三木は虚栄=人間そのものだと言っています。人間的な感情だ、とも
伊集院:逆説的で面白いですよね
虚栄は人間の存在そのものである
人間は虚栄によって生きている
虚栄はあらゆる人間的なもののうち、最も人間的なものである。全ての人間的といわれるパッションは
ヴァニティ(虚栄)から生れる
不安や恐れから目を背けるために、自分以上の自分を作ろうとする。自分をより高めたいというのが虚栄心
虚栄と付き合うには
虚栄を徹底する
仮面をかぶり続けてとことん演じきる。それが本性になる。
「伊集院光」は芸名なのでどこか演じている部分が有る。人生の半分ぐらいはその名前で暮らしているので、嘘をついているのとは違う。
パーソン=ペルソナ 仮面仮面でなくなる
虚栄心を小出しにする
ささやかな贅沢をする。日常を少しオシャレにする。そこそこの虚栄は必要だ、ということ。
創造によって虚栄を駆逐する
創造が鍵になる。難解...
創造的な生活のみが虚栄を知らない
創造というのはフィクションを作ることである
フィクションの実在性を証明することである
人は孤独ではいられない。他人の評価をすごく気にする。他者からどう見られるかではなく自分の意思で想像していけば、虚栄から自由になれることができる。今の自分より上に行く向上心。
伊集院:これを虚栄と言っちゃうあたりが面白い
嫉妬について
あっこれわかりやすい。
嫉妬には天真爛漫ということはない 愛は純粋であり得るに反して 嫉妬は常に陰険である
嫉妬こそ 悪魔にもっとふさわしい属性である
ほかの情念よりも長続きする。嫉妬がさらに想像力を働かせて、我々の心を忙しくする。
愛と嫉妬は厳密には区別しにくい。
嫉妬の対象
自分より高い地位にある人 自分より幸福な状態にある人 特殊なものや個性的なものではなく、量的なもの、一般的なもの。
嫉妬は平均化を求める傾向がある
相手を低めようとする。建設的な努力をせずに相手を貶めようとする。日本の社会全体が平均化を求める傾向にある。
※SNSでは自慢の見え隠れが炎上する
個性を認めることが大事。自分を認めることから始める。仮になりたい人になれたとしても自分ではない。自分を変えようとする努力をやめると、もはや変われてる
怒りについて
世界が人間的に、あまりに人間的になったとき必要なのは怒であり、神の怒を知ることである
誰が怒について真剣に語ろうとするのか
義人とは何か 怒る事を知れるものである
怒りと憎しみの違い
三木は憎しみを否定。
公憤(こうふん)正義感からくる怒りは肯定。怒りは突発的、純粋性・単純性・精神性 目の前にいる人に対して向けられるもの。理由があるはず
憎しみは習慣的で永続的。自然性(反知性的)理由はない。上げた手を下ろせない理由を作ろうとする。目の前にいない人(アノニム・匿名)に対して向けられる。ヘイトスピーチは最たるもの。
憎しみから脱却するためには、個人レベルで相手を認めるようにする
うーむ、できるかっ。
偽善について
精神のオートマチズム
昭和16年8月発表
偽善者は往々にして他人に媚びへつらう
国策を重んじる者への警鐘。表面だけで寄り添っていく人への危険性。
道徳の社会性というが如きことが、力説されるようになって以来 いかに多くの偽善者が生じたであろうか
道徳の社会性・・ひとつは個人より社会が優先された。もうひとつは倫理が上から押し付けられる
人間が虚栄的であるということは人間が社会的であることを示している。つまり社会もフィクションの上に成立している。従って社会においては信用がすべてである。 【虚栄について】
— 三木清『人生論ノート』bot (@jinseiron_note) 2017年4月10日
人生はフィクショナルなものとして元来ただ可能的なものである。その現実性は我々の生活そのものによって初めて証明されねばならぬ。 【虚栄について】
— 三木清『人生論ノート』bot (@jinseiron_note) 2017年4月10日
愛と嫉妬とはあらゆる情念のうち最も術策的である。それらは他の情念に比して遥かに持続的な性質のものであり、従ってそこに理智の術策が入ってくることができる。また逆に理智の術策によってそれらの情念は持続性を増すのである。 【嫉妬について】
— 三木清『人生論ノート』bot (@jinseiron_note) 2017年4月8日