原点はメキシコ
ビジュアル、きっかけ
棚橋:もっとビジュアルが良かった。背も高くて
オカダ:いえいえ
棚橋:2011年連続防衛決めて、さあ、まだ走ろうかって時に凱旋帰国してきた(笑)11防衛して新しい顔にバーンとなった。
オカダ:僕は違いますね。最初は見てたんですけど、面白くなかったんですよね。新日本プロレスが。格闘技の方にいってたんですよね。プロレスが見たいのに総合格闘技が流行ってて、新日本プロレスでも格闘技やってて。いやプロレス見てぇんだよなって。そこのへんから新日本プロレスみなくなって。闘龍門見始めて、入って、メキシコ行って。
ライガー:でも高校卒業してじゃないよね
オカダ:中学卒業して入ってますね
ライガー:お母さんとか親戚のおじちゃんとか何も言わなかったの?
オカダ:母親には一回だけ「高校行ってくれ」言われたんですけど。それでもプロレスラーになりたいって話した時に「好きなようにしなさい」それから好きなように...
棚橋:理解のある親御さんだね
オカダ:新日本プロレス入るきっかけはライガーさんじゃないですか
ライガー:なんで?(笑)
オカダ:飯奢られてウルティモさんと話されて、
棚橋:そうですよ。ライガーさんとウルティモさんのラインで闘龍門につながって
オカダ:言ってもらえて入れたわけじゃないですか
棚橋:ていうことは、新日本プロレス立て直したのライガーさんじゃないですか
オカダ:僕です僕です(笑)ライガーさんに引っ張ってこられなくても選手が来てたと思うんで
ライガー:じゃ俺を出すなよ(笑)僕もレスラーになりたくて、身長低いから日本じゃ不利だって。じゃメキシコ行っちゃえって。
オカダ:誰に憧れたんですか
ライガー:藤波さんです。バリバリのビッシビシで。当時僕はあまり外でギャッギャ遊ぶほうじゃなくて。小学校の時のクラブ活動が園芸部。インドア。ガリガリだったんですよ。自分の体と比べた時に「カッコイイ」と思って。だから技術がどうのこうので憧れたんじゃない。最初肉体に憧れたんです。
棚橋:僕ね、新日本見て、体の目標は実はライガーさんだったんです。
ライガー:うれしいね。
棚橋:絶対ね、全身タイツ着てるけど、脱いだらすごい背筋してる。服着て体が逆三角形になるはずないと思って
猪木の凄さ
ライガー:僕らの頃は昭和じゃないですか。だから「とにかく食べろ」、山本小鉄さんが竹刀持って台所で「もっと食え、もっと食え」言ってたんですよ。
棚橋:食べるまでずっと見てたんですよね
ライガー:そうそう。食べるのも練習だって。よくわかんない。
オカダ:ライガーさんにお聞きしたいんですけど、入門されたときと今と、道場の雰囲気全然違いますか。練習も昔はスクワット何千回やって、誰が何回できたすごい、って言ってる感じだったと思うんですけど、今そういうのしないじゃないですか
ライガー:しないですね。効率よく練習やってますけど。昔は重いもん上げりゃいいとか、だからヒンズースクワット三千回とか
オカダ:猪木さんそういう時は何もされてなかったんですか
ライガー:試合前に練習するじゃないですか。その前にいろいろ指導はされてました
オカダ:なんで猪木さんって、みんなから「会長!」って感じじゃないですか。それがなんかすごいなって思う。知らないじゃないですか。猪木さんのことを。何がそんなにすごいのかなって
ライガー:僕が思うのは、アントニオ猪木さんって一枚看板じゃないですか。それを365日やってたわけです、猪木さんは。やっぱり、おかげで僕たちは飯食えてます。そういうのがあったんじゃないですか。だから「会長!」って。持ち上げるじゃないけど、尊敬できる。教科書であり、先生であり、あこがれでもある。僕から上の人は猪木さんを前にすると直立不動。