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森進一ファミリーヒストリー 父・白砂三郎は甲府 母・森内尚子と下関 Taka・寛樹 

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白砂家

父・三郎

祖父・三四郎は後述する清津で米屋をしていた。白砂商店。歌が上手かった。

三郎は私塾・敬愛学舎に通い、四元義隆に習った。甲府商業卒。

※四元義隆...吉田茂から細川護煕まで、歴代総理の指南役。鹿児島出身。

森内家

母・尚子

曽祖父・才八はサンゴ漁で成功。喜一郎をフノエの娘婿に。サンゴブームは明治の終りがピーク。長く続かなかった。

喜一郎夫婦は父の中山幾太郎に朝鮮半島清津へ呼ばれ、中山食品店で働く。尚子誕生。

三郎は除隊後、尚子と再会し結婚。

一寛(進一の本名)小1の時、三郎の行商がうまくいかず沼津へ。
弟と妹が生まれるが、小4の時、学校から帰ったら母が子供を連れて家を出るところだった。一寛もついていくことに。
三郎の浮気が原因で離婚。母子は三郎の妹を頼って下関へ。復縁を願ってのことだった。

鏡山保育園(尚子が売店の売り子として働いた場所)、母子寮があった場所が映った。バセドー病などの持病が有り、思うように働けなかった。自殺を考えたが占い師に「3人の子を世の中に出すのが役割」と言われ思いとどまる。
中3の時鹿児島へ引っ越す。卒業後は集団就職

※自分が中学生の時、美術教師が「教え子は森進一。母子寮におった」と言っていた。授業より記憶に残っている。美術のN先生は既に他界。同級生・母原さんが出てきたな。一緒に働いてた川添さんは関門橋の下で取材に応じていた。へえ、先生に聞いた話、40年ぶりに答え合わせができた。本当だったんだ。中学の卒業生に初代タイガーマスクもおるわい
いとこがリズム歌合戦に応募、5週連続で優勝。チャーリー石黒の家に住み込む。仕事ができなくなったため母親に仕送りもできず。
スクールメイツへ。昭和40年「夢であいましょう」の頃。チャーリー石黒は猪俣公章に歌のレッスンを依頼。デビューが決まる。

冬のリヴィエラの後に

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まさかの、婚約不履行にまで触れるとは。昭和48年、騒動で病み47歳で自殺。

襟裳岬/森進一 - YouTube

襟裳岬(つま恋コンサートより) - YouTube

Taka

教育に関して、非常に厳しくされてたイメージがありますね。やっぱり幼い頃、父のいろいろ大変な環境があると思いますんで、そこからくる、どうしても自分の家庭はこうしたいって理想はすごくあったと思いますね。あえて厳しい道を自らうちの父は選んで、通ってったのかなという感じはありますね。負けん気の強さだったりとか、一つの方向に向かって進む突破力だったりとか。僕もやっぱりDNAを受け継いでるので、こうやってある程度結果を残した時に、父の厳しさみたいなものは、やっぱりどこか影響を受けてる部分は感じる瞬間があって、リスペクトしてます。

寛樹

基本的にもともと僕らが音楽をやること自体、多分あんまり賛成ではなかったと思うので、やっぱり自分が音楽をしてきた上で、たくさん嫌なことだったりとか苦労があったと思う。
でも、ある時期から割り切ってくれて背中を押してくれた部分もたくさんあった。応援も心配もしてくれてたと感じ取れる。父親は心配性だったり、結構いろんなことが気になりやすい性格。あんまり細かいことは気にせず体を大事に...

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しんいち
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