福山家
ルーツ
※明=雅治の父
明の母・久(旧姓・石田)は山口高等女学校(現・山口中央高校)卒業後、朝鮮半島へ渡る。久の父・角次郎は平壌で建設業を営む。久の弟・憲太郎は中原中也と同級生。
それもっと早く言ってくれれば。もともと中原中也さん好きなんですよ。汚れっちまった悲しみに、とか。なんかこう、ロックミュージックと似てるなと思って。そんな接点があったんだなあと。なんかうれしいですね。
曽祖父・茂市と守一(祖父である敬一の兄)は仏壇職人。
敬一は海軍に入り、船の通信員として鎮海へ。久と知り合い、大正13年、柳川で結婚。昭和の初めに長崎へ移り住む。
明は昭和7年誕生。太平洋戦争、原爆投下。稲佐山が盾になった。被爆者手帳。
中学卒業後工場勤めをしていたが、20代半ばで敬一が営んでいたまるふく不動産を手伝う。
昭和60年、53歳で肺がんのため死去。4年後、久も亡くなる。
漢字練習帳に綴られた久の手紙
勝子さん、大変でしたね。明があまりにも早く逝ったので。ありがとう、ありがとう。私はなんの手伝いもできずうるさいばかりで...
山口家
母方の祖母・貞子
長崎県諫早市多良見町(旧大草村)貞子の夫・力磨は40歳で死去。みかん農家を女手一つで営む。伊木力みかん
昭和20年、母・勝子誕生。洋裁専門学校へ。稲佐山のふもとにおばが営む駄菓子屋があり、よく訪れていた。出入りしていた明が一目ぼれし、結婚。
福山雅治 - 蜜柑色の夏休み (福山☆夏の大創業祭 稲佐山) - YouTube
福山雅治Peace in the park - YouTube
ましゃいわく「不動産屋さんなのに麻雀ばっかりしてた父」仕事熱心だった、家賃取り立ての悩みも打ち明けていたと証言もあり。麻雀全国大会準優勝。
雅治の兄・一明は一つ年上。「仕事のないときは友達の麻雀屋に遊びに行きます。けじめのいい父ちゃんです」
白浜久:彼がいろんな言葉を書きためたノートに「PEACE IN THE PARK 」ファーストアルバムの1曲目になってるんですが、そのタイトルがボンと入ってきて。妙に気になって。
8月のサイレンが空を突き抜ける頃
18~19の青年というよりは、1945年に被爆して、50年間なんとか生き延びて、その公園にふと座って周りを見て「あぁ平和だな」と言っているような。それがすごいなと思った