8時だョ!全員集合
居作昌果(いづくりよしみ)
※2005年死去。お笑い頭の体操などを手がけたプロデューサー
初の顔合わせはお寿司屋。
いかりや:何血迷ったこと言ってんだ。毎週1時間の生なんてご大層なことできっこねえよ。今のコント55号の裏では勝ち目ないんじゃないの。結局一番割を食うのはドリフじゃないのかな。数字を上げられなかったら切り捨てられるのがオチだ。...
つまり、ジャズ喫茶の延長線上のものだろう。目の前の客を笑いに引き込む自信はある。大変だろうが苦労してもいいか....
高木:生放送でやるってことはすごい。当時は生なんてなかったからね
仲本:ステージは全部生だった。それに対して抵抗なかった。生の方が居心地がよかった
峰岸進(演出)
7時過ぎから客を入れ始めて前説ありで。長さんがしゃべったりすることもあった。一番最初の「オーッス!」もかなり練習して。あれウケるんですよ。子供たちも。オッスの練習しようと。ノッたまんまだよ。とにかく客を大事にする長さん。どんだけ笑い声が来るか、拍手が来るか。どんだけ味方に引きずり込むか。バロメーターとしてどんだけ味方につけるか。カメラ目線でいかりやさんが「8時だョ」それだけですね。あとはカメラ目線はないと思います。要するに会場に来ている客が喜んで笑わなくて、どうして遠くにテレビを見ている客を笑わせられるんだっていう発想だから
魔の木曜日
高木 魔の木曜日
仲本 毎週3時 木曜日、TBSのリハーサル室に入って、一応台本があるからそれを見て
峰岸 いかりやさんが「う~ん...、さあ峰ちゃん、何やろうか」
仲本 そこから1から考え始める。だいたい早くて夜の11時12時。明け方になることもしばしば
高木 参加してるだけ。早く終わんねぇかなと思ってるからね
田村隆(脚本家)
一生懸命書くわけですからね。これ面白いぞって言ってそれがダメになった時のショック。だから放送作家の出入りが多かったですね。耐えらんない。僕なんか全力投球ってしたことない。顔には出しませんがね。
体戯(たいぎ)と呼んでいた。たぶん、いかりやさんの造語でしょうね。演技かと思ったらそうじゃない。「俺たちがやってるのは演技の技ほど技を見せるとか、そういうんじゃないんだ。所詮お笑いなんてものは戯れていていいんだよ」それが印象に残ってます。なるほどな、体戯という言葉があるんだなと
峰岸:長さんは、台本で面白いのは多分、彼は面白くないでしょうね
高木:言葉というより転がったり山登ったり、体張ってやったギャグってことですよ
仲本:スタッフがウケれば、笑ったらOK、笑わなかったら考え直し。だから笑うまで考える。ヘビースモーカーになった
高木:メンバーに言わせると長さんは(コントが)下手だったね。長さんは進行するだけで大変だからね。学校コントも机の上にガーっておいてあるの。よく忘れるんですよ長さん。だからみんなに馬鹿にされる。
西川光三(美術):土曜日っていうのは神経イカれちゃって、下痢なんですよ。汚い話が。いろんなことがストレスで。本当に内容が変わっちゃうんだから、長さんの一言で。仏壇が欲しいとか、当日。木魚とかね。近くのお寺行って。全員集合といっただけで理解してもらえました。貸してくれました。できないってことは言わないようにしてたんですよ。私も「こうすればできるよ」
うんこちんちん
加藤茶:ネタが決まるのは、本番が始まる10分前まで考えてたことありましたね。自分たちが納得しないってね。だからネタを作っていくエネルギーがすごいかかったの。あれね、若かったから出来たことなんです。本番が一番楽かな。大変ですけど、ウケた以上のことなんてないから。そりゃあね、ウケることってものすごいアワー貰いますよ、お客さんから。本番で(アドリブを)やりましたね。おれがやったうんこちんちんとか、ちょっとだけよとか、全部アドリブから出来てるんですよ。ワニと格闘するシーン、やることがなくなってくるんですよ。ワニにまたがって「うんこちんちん」すごいウケたんですよ。降りてきたんでしょうね
ちょっとだけョ
岡本章生:いかりやさんは「もっと汚くやってくれ」濁ったような音を出すような感じかなあと思って。
加藤:ちょっとだけじゃないんですよ。20年やったんですから
かあさんまたたいだってコント懐かしい #アナザーストーリーズ #nhkbsp そうか、後ろに志村はもういないのか...
— あみーご長嶋 (@amigonag) 2020年10月20日
#ドリフ大爆笑 #8時だョ全員集合 を ちょっとだけョとはいえ #nhkbsp で見られるとは #アナザーストーリーズ
— あみーご長嶋 (@amigonag) 2020年10月20日
たかしまあきひこさん、ドリフならではのオチ音テクニックを宮川彬良さんが解説してた。たかしまさんご本人が生きていたらなあ。同じ解説をしただろうか。美術の山田満郎は26歳にして初回から最終回まですべてのセットを任された。2016年死去。675回の屋台崩しが一番うまくいった。