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【アナザーストーリーズまとめ】大島渚と戦場のメリークリスマス ビートたけし 伊藤聡

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戦場のメリークリスマス

ビートたけし

※番組中、たけしの「OK!マリアンヌ」が。たかをくくろうかも名曲。演技は素人、といいつつ、大久保清の犯罪もやってたよな。冗談じゃないよ。

うまい役者をハラ軍曹として使ったら、監督につぶされてたろうな。俺みたいにガサツな原石置いたほうが目立つ。高級宝石店にレンガのブロック置くようなもの映画の現場に興味があって、特に大島渚さんを見ているのが面白くて、ずっと観察してたらいつの間にか監督にハマってしまってるところがある。(トカゲの頭をボーンと叩いて)どこのプロダクションだ!

助監督 伊藤聡

飲み屋で「君ね!映画評論家なんていう、バカなものになるなよ!映画は作ってるから面白いんだ!」店中に聞こえる声で。あの人は怒るとそうなんで。それで参加することになってしまいまして。

今俺たちは、世界で一番いい映画を作ってるんだという、鼓舞のしかたをするんですね。それまでにない映画じゃないですか。人がやってないことをやりたかったんですね。敵同士の友情は「大いなる幻影」とか、いろいろあるじゃないですか。そこに同性愛をテーマにしたいと。そんなこと誰もやってないじゃないですか。それが大島さんの映画の魅力なんだと思う。

「男の肖像」写真集を大島さんが見てるときに、これは誰だ?といったのが坂本(龍一)さんだった。当時YMOだったの、大島さん知らなくて(笑)

とにかくテイクを重ねることは、彼にとっては非常に、もう最悪なこと。初めて会った時の緊張感、テンションで撮りたいんだと思いますけど。

撮り終わって、映像技師が見て「大変なことが起きた!」→フィルムの不具合で所々何も映っていない箇所が。

僕らはもうラロトンガにいなかった。全員呼んで、ということをしなきゃいけない。うまくつないで、残像のような効果を施した。

こんなに新しい映画を作ったのに、土俗的なテーマを持っている「楢山節考」みたいなものが日本映画として評価されるのが悔しい。

伊藤さんの撮影日記

トカゲが思い通りに動いてくれず、NGを繰り返す。スタッフ一同の祈るような視線の中、漸くトカゲの動きが決まり、テイク8でOK。

キャスティング

一に素人
二に歌うたい
三、四がなくて五に映画スター

映画の難しさを語る

芸術への招待(1984

大島:一番難しいなと思うのはね、何を映しても自然に映っちゃうんですよ。つまり表現というものは、少しナチュラルから超えるところが「表現」なんです。だから映画は、ほっとくと個性なんかすっ飛んじゃうんですよ。そこでなおかつ監督の個性をね、どっかで、アンナチュラルにしていかないと。アンナチュラルするとウソに見えるんですよね。お客が見て「あれは噓だ」「違和感がある」もう全然、映画を拒否する。どっかアンナチュラルにしつつ、多少の違和感を感じさせながら、最後にねじ込んでしまう映画を、僕なんかは作りたいんだな

大島渚といえば

ウィル・スミスを連想する。が、先に手を出したのは野坂昭如
野坂昭如と殴り合う大島渚 - YouTube

福岡地区限定CM?85年頃バンバン流れてた。ねーちゃんが手ブラで「怖い...」バージョンもあった。削除かな
【なつかCM】福岡ローカル VERSION 北九州自動車 / 大島渚監督 - YouTube

完全版見たい。/御法度についても特集してほしいのだ
戦場のメリークリスマスSP 1983TV 大島渚監督 坂本龍一 ビートたけし 他 - YouTube

大島:(戦メリがカンヌを逃して)大勝利です。こんな国際的な映画になったのは、日本映画で初めてです。

最前線に生きる映画監督がいたということは、残したと思うね。

戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition- SHMCD

小山明子さん

75年当時、連想ゲームのレギュラー。鶏もつの時雨煮、梅ヶ香、うぐいす仕立吸い物、カニの甲羅上げを披露。おいしいものを作るには食べ歩くことだと、ご夫婦で色々と食べ歩き、味を覚えたのだそう。夫は73年に「きょうの料理」同コーナーに出演。監督はどんなレシピだったのか、テキストをお持ちの方、ご一報を。

鶏モツ250gは塩を振り、水につけて、よくもみ洗い→ざるに置き熱湯をかけ霜降り、水で洗ってざるにあげ20分置く→鍋にモツ、はりしょうがたっぷりのせる→煮切った酒カップ1/3(またはかん冷まし)みりんカップ1/3、砂糖大さじ3、しょうゆカップ1/3を加えて落し蓋→あくを取りつつ30分かけて煮詰める

日本の夜と霧(1960)

公開後4日で上映打ち切り。直後、激怒した大島と20歳で結婚。松竹を出て独立。

小山:昔の撮影所はドブネズミ色。みなすごい格好してるのに、大島は白いワイシャツにネクタイ。キザな助監督さんとみんなに思われてた。カチンコたたいてる、ペーペーの助監督さんがですよ「僕はいつか、世界に通用する監督になって、君をカンヌに連れていく」え~、まだカチンコたたいてるのにそんなこと言っていいの?って。シナリオは書けたんですよね。「7人」っていう同人雑誌を出していて、そういうところはすてきだなって思ってましたね。