小野寺昭といえば
殿下76歳
殿下って皇室のイメージですよね。自然にやってたんです。殿下だからこういうふうにしようと思ってなくて。普通にやっててなんとなくそれぽくなったのかな。後で名前がついてきた。
1975年、雑誌の切り抜きから。
殿下のテーマ 井上堯之バンド
白いページ_小野寺 昭
教授の仕事
殿下:最初事務所に連絡があったとき「なんの教授ですか?」いろんな教授の方がいらっしゃるから。ドラマの役だとばっかり思ってたら「いや、実際の大学、大阪芸術短期大学部の教授としてきていただけないか」
徹子:最初教えるのは無理だってお思いになってたけど
殿下:うん。ぼくね、東京出てきて新劇の俳優になろうと思いまして、いろんな名だたる新劇受けたんですけど全部落っこったんですよ。たくさん受けたけど。普通のちょっと小さい劇団に3年目に入れたんですけど。ちゃんとしたアカデミックな養成所で勉強してないので、講義とかはできないんですって言ったら、いや、講義は先生たちがいるけども、実際舞台に立った時にどうしたらいいか、テレビドラマではどんな風に演じたらいいか。要するに実技を教える先生がいないので。一応現役の俳優でしたから、そういうことを学生に伝えて欲しいと。きっかけは大阪芸大、四年制は、学生とテレビ局が共同でドラマを作るのに、事務所の仕事で行ったんです。学生さんと絡んだりするので「こんなふうにしてみたらどう?」「じっと見なきゃいけないのに目がおどおどしてるよ」(笑)フロアが汚れてたりして、ちゃんと開けとかなきゃいけないよ、いろんな現場で体験するようなことを、僕あまり現場で言わないんですけどもやってたら、伝わってたらしいんですよ。で「舞台芸術コースを立ち上げるんだけども教授として来てくれないか」役ではなくて。いろいろやってなれてもらおうと思って。自分ができないことを先輩としてアドバイスする、一緒にやろうというスタンスで。
去年度まで12年間やってて、後半の7年間はメディア芸術学科長までやらされて。週3日大阪行ってて。もちろんドラマとかこういうお仕事が入ったときは休ませてもらってるんですけど。週3日、7コマ~10コマやってましたね。3日間大学にカンヅメで。
僕事務的な作業ってすごく苦手なんですよ。人の上に立っていろんなことをやるのがすごい苦手な人間だったんですけど。授業に関して、学校が終わっていろいろ相談しながら決めていくのが一番大事な仕事。自分では手に負えないところがあって、なんとか7年あってできるようになった。ちょっとのんびりしたいなあって。
気力を高めるには
殿下 山に行くときは綿密な計画を立てるのですが、気力が上がらないっていうか。仕事とか学校へ行くのはちゃんとやるんですけど徹子さんにお聞きしたいんですけど、気力を高めるってどうしたいいんですけねえ
徹子 気力ですかねえ...やっぱり、自分がやりたいって思うことが気力が出るんじゃないですか。
殿下 やりたいことをやるっていうのがね。やりだせばいいんでしょうけど、ちょっと今はお休みしてるんです
徹子 それでいいんじゃないですか。無理に気力を出さないで
殿下 そうですね/じぶんがやらなきゃいけないことはきちっとやるんだけど、それ以外はね、どうでもいいっていう(笑)アバウトな性格があるんで
僕ら結婚早いんです。21の時。とにかく早かったので55~6年。
どんなご主人ですか ←飲んだものや食べ物など出しっぱなしです。家事全般やりません。結婚生活56年、もはや空気のようです