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ファミリーヒストリー 古舘伊知郎 ルーツは唐津市 双葉山と父 金栗四三と母

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古舘家

唐津市北西部に残る姓

先祖が名護屋肥前守入道 藤原朝臣経元。秀吉が朝鮮出兵した際、拠点になった。名護屋から分家したのが古舘一族。高祖父は同村豊作。馬喰(ばくろう)を生業としていた。孫は清治(伊知郎の祖父)インチョンへ渡る。幼馴染が清治を慕って同地へ渡り結婚。
青島の市場一路で働き、28歳で「古舘商工」を立ち上げ、米や雑穀を扱う。4年後に順太郎(伊知郎の父)誕生。

大正11年、青島返還。清治は龍口で(青島から北に180キロ)古着商を始める。やがて食料品も扱い、保険会社の代理店など事業を拡大。昭和10年頃、波多津に一時帰省し、波多津尋常小学校で体験談を話すことに。

双葉山と父・順太郎

成績優秀。大連第一中学校に進学。4年の時双葉山がやってきた。
同級生は現在97歳。出てくるおじいちゃん達の記憶がはっきり、確かなのに驚く。

満州の巡業できたんだよ。それで大連に来たわけ。何の準備もなかったから、学校で慌てて相撲場作って。双葉山が来た時に相撲部がなかったんで、あの時に初めて作って、古舘くんは柔道部から相撲部に移籍したんだよ。彼は顔つきが双葉山ソックリだったと僕はそう思う。

相撲博物館所蔵の雑誌「相撲」(昭和13年9月号)当時の写真有り。見たいな。

昭和15年早稲田大学に進学。弁論部に入り政治家を志すが、学業半ばにして学徒出陣。久留米第一陸軍予備士官学校へ。昭和19年、長山丸乗船。バシー海峡でボンフレットから魚雷発射、すぐそばの津山丸に命中。長山丸は無事に通過するが、5日後にルソン島西岸で魚雷が当たるが幸いにして不発。ジャワ島に到着、インドシナ半島に向かう前に遺書を残し、タイ北部で終戦を迎える。

昭和21年、引き上げた両親を助けるため波多津へ。

伊知郎:なんで父親はおしゃべりも立つのに、自分の戦争時代の苦しみとか悲しみ、ブルースを語んなかったのかな息子に、僕にと、ずっと思ってた今も前も。若干、一端がわかったような気がしたのは「やっぱりお前たちの世代は、政治や国家のいろんな思いに翻弄される時代じゃ、一旦なくなったんだから、そんなことは考えずに自由にやったらいいんじゃないか」みたいな気持ちをもってたんじゃないかって

堀口家(母方)

別府→東京

温泉成分を元に鎮痛剤や胃腸薬を開発。別府は博覧会が開かれるほどの人気。伊知郎の祖父辰蔵も別府でビジネスを学び、東京で会社設立。

安也子(伊知郎の母)昭和15年十文字高等女学校進学。(現 十文字中学・高等学校)金栗四三が地理・歴史を教えていた。
家庭教師は早稲田に通っていた順太郎。

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古舘伊知郎といえばふるいたち伊知郎、フルハム三浦、ひょうきんプロレス。どういうわけか思い出してしまうんだなひょうきん族世代。