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SWITCHインタビュー 達人達 佐野元春×浦沢直樹 創作の苦悩(抜粋)

佐野:鉄腕アトムはまさに、自分の分身のようなもの。アトムが勇ましく歩けば、自分も勇ましく歩く。子供の頃は手塚治虫に憧れ、家まで行ったことがある。半年間神経を痛めまして、カウンセリングに通ったことがある。


浦沢:佐野元春は何が実体なのか。没頭すると時間を忘れ、何時間もやる。月6回締切があった事があり、寝ずに一気にやった事がある。

佐野:最初に曲の全てが頭に立ち上がる。それを分解して、ベースはこう、キーボードはこう... 最初のインスピレーションを大事にする
浦沢:キャラクターが勝手にしゃべる。ひとコマでいいところも3コマ使う。 ひねくれた奴は絶対反対のことを言うし、民主主義。
佐野:手塚作品のプルートゥの続きを読んでるような。もう一度幼い頃に見たプルートゥに引き戻されるような。過去現在未来が交錯して。 漫画を読んでそのような感じに陥ったのは初めて。

※イメージノートに最初書いたものは、原作のアトムに近かったが、息子の手塚眞に見せたところ「あなたのイメージで書いて欲しい」と言われた。

浦沢:もうじんましんができるくらい。 手塚ファンの呪いのようなものが襲いかかってきて。口うるさい手塚さんファンは自分じゃないかってある時気づいた。5歳の時読んで「こんなに切ない初めてだ」って。戦うことがこんな切ないなんて。頭の中にある物量と違う。行間が僕の中で膨らんだ。それに従うしかない。あの、5歳の時に描いたいた感想画の表現
佐野:言葉を知る、考え方を知る。アトムが抱えていた二律背反。


浦沢:手塚治虫の未来像に一生懸命僕が合わせてんのかな。行くも切ない、戻るも切ない。21世紀ってこんなに切なかったかな。
佐野:一瞬のイメージが浮かんで、書きつけていくわけですね。
浦沢:それが見たこともない面白い場面になるわけです。
佐野:ご自身の中で煮詰まるようなことは?
浦沢:1日ひとつのことを考え続けると脳が停止するんですよ。本当に気絶するんですよ。その時に「あ、分かった。できた」って
佐野:商業作品には締め切りがある。


浦沢さんの、小6の時に書いた創作ノート、元春さんが中3の時に書いた作詞ノート。次から次へと出てきて息つく暇もないような番組。 

佐野:10歳11歳の頃は夜中じゅうストーリー漫画を描いていた。翌朝母にビリビリに破られてもう描くもんかって。それから音楽に行って詞ばっかり書いていた。ディランのソングライティングを真似るところから始めました。ILOVE YOU YOU LOVE ME だけじゃない、叙情じゃなく叙事詩を書こうと思った。
浦沢:「YAWARA」書くときに「女子柔道漫画を浦沢さんが書くなんてがっかり」って声があった。「奥さまは魔女」のような、スポ根ものではなくカラッとしたイメージ。どのくらいマイナー感を譲らないかみたいなせめぎあい。あの作品でマナーみたいなものがわかったが、絶対に芯は変えない。
佐野:自分のユニークなアイデアを変えることはしない。メジャーのトーン&マナーでつつんで。
浦沢:電車でつり革に捕まってふと隣を見ると、乗客が僕の漫画を読んでる。読者と交流がないですから、ラーメン屋とかしかないでしょ。逆に僕の漫画をパーンと飛ばされちゃったり。

ATOM KIDS Tribute to the king

ATOM KIDS Tribute to the king "O.T."

1983年、27歳の時、佐野元春は周囲の反対を押し切りニューヨークへ。
佐野:それまでにない音楽を作りたかった。創作する場を丸ごと変えないとダメだって。自分の中にダイナミックな変化をもたらそうと、ストックは全部捨てて。ヒップホップカルチャーが炸裂しててドイツやなんかから来てて。日本語ラップなんかに合わせて街の人たちがダンスしてた。その体験が出来ただけでも。10代20代の頃は言葉をたくさん飛ばしていきたいけど、やがて確実に相手に飛ばしていこうとする。
浦沢:佐野元春は本当に変貌し続けている。前のアルバムとおなじことはしませんって。
佐野:常に新しい時代の若い聴き手に聴いてもらうことを捨てていないから。ああしろこうしろという大人たち。 大人たちに対抗するためには言葉のスキルを磨かなきゃ。80年代に「ガラスのジェネレーション」書いて。つまらない大人にはなりたくないたった3分か4分でましなこと歌おうとするとすごく苦労する。

「人間なんてみんなバカさ」音楽はすごく柔らかい。柔らかいR&Bの中で歌うと響き方届き方が違う.

ZOOEY

ZOOEY

    
あ、自分も高校生の時「VISITOORS」買ったっけ。今回のは書き起こすのが大変だった。