トーラー家
父ロバート・H・トーラー
昭和50年の雑誌記事から、ノースカロライナ州出身と判明
僕のおじいちゃんになる人(ゼブロン・ハンス・トーラー)が郵便局に勤めていて、そこの偉い人だ太ったという記憶があるんですけど。(父は)朝鮮戦争で死んだと聞かされていた
※祖父ゼブロンは息子ロバートが生まれる3か月前に銃で自殺。ペラグラという病を苦にしていた。
築城空軍基地~西ドイツへ
父ゼブロンの影響もあってか、18歳の時は第一航空郵便隊第24分遺隊所属。朝鮮戦争では金浦空軍基地配属。1951年築城に帰還。
任期切れで除隊したが、また戻る。極東空軍羽田基地へ。スエ子と同棲※後述
別れたのちに西ドイツへ渡り、別の女性と結婚。除隊して商売を始める
2013年、ガンで死去。83歳
伯母ジャニタ
弟ロバートの秘密を抱えて苦しんでいた。97歳(2023年現在)。
「私だけがこの事実を知っていて、息子に話したの。正雄の存在を家族のだれにも知らせないまま死ぬわけにはいかなかった」
手紙(抜粋
親愛なるおいへ。あなたを見つけられたことが、私にとってどれだけうれしいか、ことばにならないほどです。70年間、あなたのことをずっと思い続け、心配してきました。
貴方のお母さまが私たちにくれた手紙には、戦後間もない日本で、アメリカ人との間に生まれたあなたを育てていくことへの不安がつづられていました...
草刈家・母スエ子
福岡県行橋市
利久蔵(六代前・五代前)~勝蔵(四代前)~曾祖父・髙蔵 長男・松蔵
天ぷら・かまぼこ製造業の小売店を営んでいた。曾祖父は39歳で急死。スエ子は車掌として働く。
出会い~正雄出産まで
正雄:母親から聞いたことありましたね。川があって、橋があって、ひとりしか通れなくて、どうぞどうぞと。そこで出会ったと。ドラマみたい。ロマンチックですね
当時車掌をしていた。出会いの橋はバスの休憩ポイント。やがて同棲。
スエ子は車掌をやめ、都内で同棲し、正雄を身ごもった。が、ロバートは陸軍に編入。
行橋市~小倉
スエ子は故郷を離れ、しがらみのない小倉へ
九州の小倉に育った少年時代、マサオは丸々太った喧嘩ずきのわんぱく坊主。
「友達と自転車で別府まで行こうってなってね、行きはよかったんだけど、帰りはあいにく向かい風。夜中になっちゃうし、疲れて腹はペコペコだし、2人で泣きながら帰ってきましたよ。担任の先生の家にたどり着いて食わせてもらったラーメン、うまかったなあ」もし父が生きていたら、僕は今頃アメリカの大学生。それとも
違った人生を想像しても 父の顔は思い出せない。/「スタア」昭和50年7月号
2010年、スエ子死去。78歳
放送終了後、正雄と伯母再会。そりゃ複雑な胸中だろうよ...ただ、70歳と97歳。残された人生のことを思うと、会わなければ後悔する。
関連
1970年、MG5
資生堂CM 1970 MG5「紹介」 団次郎・草刈正雄・島野俊通 - YouTube
アローンアゲイン
草刈正雄 アローン・アゲイン 原曲キー(歌詞付き) - YouTube
BS11でドラマ「ほんとうに」初放送。どこをどうやったら関口宏と兄弟役なの
空気録音 草刈正雄さん ほんとうに - YouTube
渡辺貞夫とのブラバスCM、70年代雑誌など。