補欠で部活引退、やりきれぬ母(抜粋)
高校3年の息子は野球部で、夏の大会を終えて引退しました。小学4年から野球を始め、中学まではずっとレギュラーでした。高校は1.2年ベンチ外、3年は補欠で、最後の夏の大会も試合に出ることなく終わりました。
息子は最後まで「レギュラーもあきらめたくない」日々練習に励んでいました。私はいつかレギュラーの座をつかむと信じていたので悔しくて涙が止まりません。私自身も野球部の保護者会のまとめ役や連絡係など忙しい役割をやっていただけに、やり場のない怒りを感じます。
息子はもう気持ちを切り替えて、次の進路に向けて進んでいますが、親の私は忘れたつもりなのに、気持ちの整理がつきません。私の心が狭いのでしょうか。
やり場のない怒り
レギュラーだけが野球じゃない。よく我慢しましたね。だからといって、他の選手及び保護者を攻撃しないでね。昔やられたんですよ。中傷も書かれたし。怒るぐらいなら、やらなきゃよかったのに。やっても報われないことなんて、この世にゴマン、ジュウマン、ヒャクマンとあるんですよ。報いを求めたら負け。保護者が動いたぶんだけ報われるのは、中学生までだと思ってほしい。お金もたくさんかかったでしょうに。これからドッと疲れが来ます。早朝から目覚めてしまう習慣がしばらく抜けないかもしれません。あの頃の私は、どうやって仕事を続けたのだろう。たくさん職場に迷惑をかけたに違いない。そうに決まった。
私は泣いたことがない
大神いずみさん
>ところが、私は一度も卒団式で泣いたことがない。なぜか野球の最後では一度も泣けないのだ。
>私はいつだって、彼らの次の野球が楽しみだ。まだ彼らの野球に終わりがないのなら。だから、まだ泣かない。
不覚にも泣きそうになった。同志を探すために検索をして、同じ考えの人に出会えると嬉しい。泣かないとか泣くとか、そんな単純な感情では片づけられない。野球母のひとりごと、書籍化希望。
fujinkoron.jp
数年前、県大会の決勝で負けたが泣けなかった。周囲に泣く人が多い中、自分はどこかおかしいのではと思った。大学では4年間、一度も公式戦に出なかった。のち社会人野球に進み、戦力外だなんだでチームを渡り歩いた。君は、まだ野球をやるのか。まだやってる。
2023年、クーリングタイムのインタビューで元木選手登場。応援席で試合に出れない子たちの表情が明るいのに救われる。かれらの胸中複雑では、って保護者側の見方かも※うちの息子は大学時代(高校まではレギュラーだったので)相当にモヤモヤを抱えていた。
インタビューも考えてほしい「監督は家でどうですか」いや、家庭はどうでもよい。なぜ訊ねる。
福盛和男さん
>大和には大和の人生がある。自分の夢まで背負わせる必要はないと思っていました。
>本当は保護者の席で応援したいんですけど、普段からあまり創成館を応援できていない自分が、いきなり保護者席に座って取材を受けていたら、うざいと思うんですよ。だからこうして、遠くから応援しています。
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清原さんですら「息子ではなく選手として応援する」←ですら、何と失礼な物言いwただね、広陵の悪口ツイート(ポスト)をする輩はいただけない。一方をほめて片方を貶めるやり方はよくない。慶應ファンでくくられる現実を考えてほしい。そして、すべての選手には保護者関係者がいる。誹謗中傷は多くの人の目に留まる。
山口恵以子さんの回答
お弁当作りからユニホームの洗濯だけでも大変だったでしょうに、保護者会まで私にはとてもまねできません。
小学生の時は、ただかわいい息子さんを世話していたのが、次第に、あなた自身が息子さんと同じ気持ちになって、一心同体で必死に頑張ってきたのですね。
悔しくてやりきれないのは、息子さん以上にあなた自身の体験になっているのですね。
それほどまでにわが子を思う母の気持ちを、私は否定しようとは思いません。息子さんは恵まれています。
ただ、当の息子さんは気持ちを切り替え、別の目標に向かって歩き始めました。だから、あなたも別の目標に向かう時期に来ていると思います。徐々に軸足から力を抜いて、次の一歩を踏み出すようにしてください。
次の一歩を踏み出すまでに3年かかった。でも間違ってなどいない。