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【ファミリーヒストリー】石橋凌 祖母方・津江家と大友宗麟

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石橋家

祖父・守造

明治19年生まれ。呉の海軍工廠で働いていたが、川崎造船所神戸分工場へ。渡り職工。妻アイは広島県出身。労働者新聞には尻池支部幹事長とある。労働環境改善のため賀川豊彦らと働き、日本初の8時間労働制発祥の地となる。翌年上京。柳河学友会で小野英二郎(元日本興業銀行総裁・オノヨーコの祖父)と同席
ファミリーヒストリー 野村忠宏 祖父・彦忠と賀川豊彦 - 別館.net.amigo

父・久渡

大正4年生まれ。戸籍は神戸市梅香町。

やがて家族は柳川市に移り住む。昭和8年、現在の福岡県立伝習館高校卒業。20歳の時陸軍入隊、下士官に。日中戦争で中国の激戦地へ。五十六連隊曹長

津江家(祖母方)

大友宗麟

津江山。←※住んでいる場所を名前にする
かつて津江家は大友家に仕えた武士だった。

古文書の内容:江戸時代中期、農家だった津江家に大友様の使者がやってくるので、仕えていた旧家臣の私達は集まって、大友様から昔もらった手紙を集めましょう、という意味

大友義統にも信頼されていた

祖母・ミキエ

明治45年、矢野安(祖父)と結婚。

母・矢野須壽。

看護師を目指し、現在の久留米大医学部看護学科(旧・九州医学専門学校附属病院看護婦養成所)入学。卒業後、アサヒシューズに就職。日華(ごむ)工業に移り、召集解除になったばかりの久渡と知り合い結婚。

終戦後、瀬高町(現在のみやま町)で化粧品店・スズヤを開く。昭和31年、五男秀樹(=凌)誕生。翌年差し押さえとなり店を閉じる。

一家は久留米に移り住み、再出発。久渡は武雄のパチンコ店へ単身赴任~福岡市の不動産会社に転職。須壽は看護師の傍らのし書きも。

昭和44年、久渡は肝臓がんで死去。54歳。