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人生案内メモ、文字起こし、感想。

ファミリーヒストリー 野村忠宏 祖父・彦忠と賀川豊彦 

野村家

祖父・彦忠

本籍地は北葛飾郡馬見村。曾祖父・彦三郎の代から小作農。

貧乏で通学もままならなかった。大正9年、母病死。地域の草相撲に魅了される、大正15年、警察署(現在の高田警察署)で柔道を習う。昭和3年、近くの教会で賀川豊彦に出会い、共感し、洗礼を受ける。寄付を募り、昭和7年、農繫期託児所を設立(馬見労禱保育園)。

関東大震災の被災者支援など、ボランティア活動の草分け。生協の父。

賀川豊彦 - Wikipedia

改訂版 賀川豊彦伝 貧しい人のために闘った生涯
死線を越えて

昭和11年、彦忠は託児所の一室で柔道の指導を無料で始める。昭和15年、小阪達子と結婚。

第二次世界大戦後、GHQにより武道禁止令。戦争で壊れた日本の心を立て直すには武道の精神が必要。

勝つために手段を選ばない柔道はするな、正しい柔道をやりなさい。

次男・豊和はミュンヘンオリンピック金メダル。
【柔道チャンネル】野村豊和 著名な柔道家インタビュー

父・基次

昭和18年生まれ。天理高校に進学。のち監督。細川伸二らを育てる。2019年、気管を切開する大手術。

岡田家

母方祖父・光宏

奈良県吉野郡大塔村(現・五條市)曾祖父・義武は婿養子。十津川郷士の末えい。

光宏は大阪逓信逓信講習所に入学。その後、中野高等無線電信学校(現在の国際短期大学)に入学。昭和15年関東軍特殊情報部技術雇員。卒業後、旧満州に配属。ソ連軍の無線傍受、暗号の解読を課せられた。昭和18年一時帰国し、伊藤繁子と結婚。昭和20年八詠子(母)誕生。

昭和20年8月9日、ソ連軍、旧満州に侵攻。光宏は妻子を避難させるため駅に送る。

「できるだけ生き延びてくれ、万一の時は日本人らしい最期を」

母子の避難先にソ連兵が押し入り、銃を突き付けられたが難を逃れる。

母・八詠子

中学時代、近畿地区大会背泳ぎの部で優勝。中3で日本新記録。オリンピック出場はかなわなかったが天理高校の体育教師に。77歳の今も泳ぐ