鶴見家
父・剋之(かつゆき)さん
成績優秀で叔父の援助を受け、早稲田大学高等学院~早大政経学部へ。卒業後は石油製品の専門商社に就するも1年足らずで退社。兄が立ち上げた電気設備会社を手伝う。昭和43年、会社が倒産。新居も手放し兄立ちと連絡を取らなくなる。ラーメン屋、居酒屋などを経営。
2020.7.3 闘病生活の後、86歳で死去。
若い頃に父と父の兄と一緒に仕事をしていたらしいんですけど、うまくいかなくなって決裂して、それからずーっと会わなくなっちゃったらしいんですね。
三十代続く家系
元々は武田信玄に仕えていた。武田家滅亡後、水野忠清(松本藩主)に仕える。歩行組。馬に乗らない武士。1725年(享保10年)六代当主忠常が将軍吉宗に謁見した後、江戸城松の廊下で長門長府藩・毛利師就を斬りつける。←同じ場所で浅野内匠頭が斬られた25年後。譜代大名でなんとかお取り潰しは免れたが、七萬石の大名から七千石の旗本に転落。2000人いた武士を減らすことに。刃傷事件から40年後、水野忠友は沼津藩主に。
幕末、水野家は劣勢になったと見る新政府側につく。明治維新後、徳川家の家臣団13000人が移り住むことになったため、やむなく沼津を出て行く羽目に。国替えを余儀なくされる。鶴見家は千葉へ。仕える藩主を失ったため、牛込天神町に向かい、家具職人になった。
祖父博は9人兄弟の末っ子で絵を描く才能に恵まれ、日本画家を目指す※うわ自分の父を思い出すのう。きょうだい構成とか絵を描くとかまんまそっくり。酒は若い頃にやめたが
結婚し3人の子供に恵まれた。長男が剋之さん。
本多家
母・博子さん
本多忠勝は8代前。高祖父・忠誨(ちゅうかい)は4代前。元武士。通称は左内。幕末、幕府軍の一員として第二次長州征討に参加。目付介。
康重は初代岡崎藩主。長篠の戦に参戦、五万石の大名に。岡崎城の石垣は孫の忠利が築いた。七男・利朗から続くのが鶴見辰吾の家系。
9代目・紀意は1838年京都町奉行に任命される。
大政奉還で徳川幕府の終焉。3つの選択肢(徳川家と一緒に駿河に戻って家臣であり続ける、江戸に残って明治新政府の家来として生きる、武士を捨てて百姓町人になる)から静岡を選び、遠江に移り住む。←大移動。菊間に追いやられたのが父方鶴見家。
曽祖父・三子三は本多機械製作所を立ち上げる。祖父義昌に帝王学を叩き込もうとするが興味を示さず。義昌は生涯働かず俳優を志す。映画の端役で出演したが大成せず。父から遺産を相続し一等地に家を建てる。30歳の時に召集され、中国東北部へ。ポリオに罹患。復員。自宅は繊細で焼失していた。働かず父の遺産の土地や建物を切り売りし、財産で生計を立てていた。やがて不思議な力が身に付いたと言って占いの道へ(?)
本多機械製作所は昭和32年、火事で廃業。
最後に
金八先生第1シリーズ
天城越えは映画でしか見たことがないので。鶴見辰吾だと知ったのは後年。
NHKプラスだと金八先生は民放ゆえカット。第1、第2シリーズは再放送も含め何度見たことか。第1シリーズは挿入歌の印象が強い。トシちゃんの時はオフコース「さよなら」マッチは甲斐バンド「特効薬」鶴見辰吾はアリス「終止符」三原じゅん子(当時は順子)の時はオフコース「生まれ来る子供たちのために」,,,浅井雪乃(杉田かおる)は縄跳びして流産しようとしたんだっけ。
博子さん:なんでこんなエログロの(笑)あたしは怒りました。なんでこんな中学生が妊娠させるっていうようなね。ドラマを作る人も人だけど、なんでうちがってね。
※昭和54年という時代背景、親の年代を考えればごもっとも。博子さんはうちの母の一つ下だしね。のち「愛のABCD」「14才の母」に引き継がれる
第2シリーズの腐ったミカン逮捕の時は中島みゆき「世情」40年たってもなお記憶に残る。55歳か。2020年、昭和39年生まれは56歳。同級生の中にはBS-TBSドラマプロデューサー、丹羽多聞アンドリウさんも。
弟(祐一さん)も子役だったんだな※芸名は三上祐一
三上祐一 - Wikipedia