マニィ大橋さんのメッセージ
YABどき生テレビ 2020.4.4
一本の映画であなたの人生が変わるかも。マニィ大橋です。
佐々部監督がお亡くなりになられました。多くの功績を映画界に残されまして、たくさんの映画人がショックを受けておられますが、私もその一人です。
私が新聞記者をやめて、最初っから申し訳ないんですけど(涙)映画界に入るきっかけが、監督でした。僕は監督の愛弟子だと思っています。
そこで今日はちょっと気を取り直して、佐々部監督を偲んで、こちらの企画を行いたいと思います。
(「出口のない海」で)監督からロケ地探しなど手伝って欲しいと頼まれたことが嬉しくて嬉しくて、手伝ってたら仕事なんてやってられないわ、って会社辞めたんですよ。ある時機材運んでたら監督が「おい!おまえ!仕事は?」「あ、辞めました」監督「えっ」言ったまま固まって。撮影の後半に映画会社の人に呼ばれて...封筒渡されたんです。給料が入ってたんですよ。撮影が終わって3年後ぐらいに聞いたんです。監督が映画会社に「俺のギャラ削っていいから、あいつに出してやってくれないか」言ってくれてた。
(交流の始まりは)「チルソクの夏」で山口県東部を盛り上げたいから手伝ってくれと、プロデューサーから依頼された
基本的に映画は(役者、スタッフに)指示をしないよう撮ってる(観る人には)自分の年代に応じて感じるままに映画を見て欲しい。涙がポロポロ出るから感動だって映画の宣伝とかでやってるけど、僕はそうじゃなくて「こんなことがあっちゃいけない」怒りを抱くのも感動だと思うんですね。そんなことをいっぱい感じ取ってもらえると嬉しいな
高倉健さんから「なんのために撮るのか」教わったんだって。
最後に、監督にお詫びとお礼をしたいと思います。僕がマニィ大橋になったとき、監督が「映画の伝道師になれ」おっしゃってくださって。そのあとぼくが映画を作るとき、ちょっと監督に義理を欠いたことがあって、めちゃくちゃ叱られて「何だクソ野郎」監督と距離ができました。去年、周南映画祭に監督が来てくれたとき「お前は相変わらずの映画馬鹿だな、第1回の映画祭で2時間ずっと泣いてたよな」監督と3時間半、どんな映画が面白いか、昔話をいっぱいしました。
今回の訃報を受けて、いろんな感情がある中「出口のない海」当時の美術監督と映画で話したとき「大橋くん、佐々部ちゃんはね、俺は大橋の人生を狂わせちゃったんじゃないのかってずっと言ってたんだよ。あいつは俺のために子供もいるのに、会社を辞めてまで映画のことをやってくれて」言ってたんですって...
大橋くんが映画を作るときも「大丈夫か、そんなに甘くないぞ」本気で心配してたんだよ。監督申し訳ないです。監督が安心できるように僕はこれからも映画と向き合っていきます。監督ありがとうごめんなさい。
※いやKRYの熱血テレビだって短いけど追悼やってて。それがローカル番組の良さじゃないのんかな。余りにも良かったので再放送録画してもう1回見たのだ
完全に私的な放送に。
— マニィ大橋/大橋広宣 (@hirotae6522) 2020年4月4日
いいんかな、あんな本音を公共の電波で言って。
担当ディレクターは「謝罪と感謝をしないと前に進めない」という僕の想いを泣いて聞いてくれた。
「大橋の人生を狂わしちゃったんじゃないか」
はい、十分狂いました(笑)
仰って頂いた「映画の伝道師になれ」を肝に命じます https://t.co/FOYJsKMlE0
山口撮影作品の中から
チルソクの夏(2004)
70年代の女子高生を描いた映画。韓国の高校生との淡い恋。セービング陸上競技場には記念プレートがある。
※友達がエキストラで出たので一緒に見に行った。上野樹里さんがいますね。(後に「出口のない海」で海老蔵さんと共演)
監督を動物に例えると?
ジュゴン。(その理由は)やさしい。
自分母校なんで。なんていうか、ギュッと掴まれるような感じがした。「岡林」先生そっくりで吹いた(田村三郎さん。しゃべりかた特に)、清水先生役にイルカさん(←自分が習った先生にそっくり)選手団の総監督役に田山涼成さん、スナックのママ役に夏木マリさん、上野樹里さんの26年後は谷川真理さんが演じている。77~78年当時が舞台。パンフレットの最後まで読み応え有り。
水谷妃里さんといえば「風は西から」PV。相手役の淳評さんは後に鈴木淳評→スズキジュンペイ名義。ウィキでは「元俳優」
2020.5.2 KRYでノーカット放送。
冒頭※2005年だったか、初めてテレビ放送した当時は井上雪彦さんが最初に出てこられたんだっけ(←2006年死去)今回は高松綾香アナウンサー。
山本譲二さん:「譲二さんが主人公の父親役を引き受けてくださらなければこの映画は撮りません」とおっしゃいました。
流しで生計を立てている役。70年代後半はカラオケに押されて激減したのでは。豊前田の街にはいたのか。あの頃加トちゃんのコントでしか見たことがない。渥美二郎さんのデビュー前の職業が流し←「夢追い酒」ヒットしたときザ・ベストテンで言ってた記憶がよみがえった
5.4「おはようKRY」にて
竹重アナ「脇田美代さんが出演するといい、女優デビューかと。渡辺三千彦アナと二人で、後日見てみたんだけど(どのシーンか)分からない。何度も巻き戻してようやくわかったんですよ。舞台、長府高校でしょ?学校内で、お下げ姿が一瞬映るんです(笑)」井上雪彦さんほどにはわかりにくい。気がつかない。雪彦さんは譲二さんがギターを弾く後ろを歩いている。譲二さんにフォーカスされてるので雪彦さんはぼやけているが。
おはようございます。☀️
— 上野樹里 (@juri_wada) 2020年4月15日
今日は佐々部監督が夢に出てきて撮影をしていました。淡々と撮影を終えた後、佐々部清監督が言わずもがなやって欲しかったお芝居や表現を思い出して、もう監督に会えない事を知りわんわん泣いて、目が覚めました。佐々部さんは、これからも私の中で生き続けます。 #佐々部清 pic.twitter.com/ZdaY32L1ve
悲しい。でも悲しみを広げても仕方ない。しっかり無駄にしない。それしかない。早過ぎるけど…悔やんでも悲しいだけだから。天国で安心して楽しく過ごしてもらえるような、役者として人として生きます。もっと成長していつかまた監督の映画に出られたら素敵だな、その思いは変わらないです。#佐々部清
— 上野樹里 (@juri_wada) 2020年3月31日
佐々部清監督。演技は初めてだった私を映画に起用して下さり役者の芽を育ててくれました。監督が教えてくれた『上手い役者ではなくいい役者』を目指して、しっかり日本中に元気と笑顔を届けます‼︎弱気になって気を抜いたら今にも『樹里!何やってんだ⁉︎』って怒られそう。ご冥福をお祈り致します。
— 上野樹里 (@juri_wada) 2020年3月31日
※放送日は「カーテンコール」出演、井上尭之さんの命日
出口のない海(2006)
人間魚雷回天。映画会社は千葉の海で撮れといったが「これは山口の海から出撃していった若者の話だから、山口でしか俺は撮らない。大橋お前はスクリーンに映るんだぜ」監督がこだわったのは出てくる回天。実際と同じものを作らないと、俳優たちが「これに乗って出撃したんだ」という思いにならない。周南市の企業に発注してそのまんまの寸法で作った(ハッチ部分だけは海老蔵さんの胴回りに合わせたため異なる)。スクリューも動く/坊主頭のエキストラを集めるのに苦労したそう。
マニィさんが選んだのは「八重子のハミング」高松綾香アナウンサーがちょっとだけ出演
監督デビュー作「チルソクの夏」の女優オーディションで、細すぎた宮崎あおい、胸が豊かすぎた綾瀬はるか、地味だった蒼井優を落として「見る目がなかった」と悔やんでた、でも上野樹里が大きく成長した
— KRYラジオ【公式】📻️ (@kryradio) 2020年3月31日
と喜んでいたという話がとても好きです。#佐々部清 監督のご冥福を祈ります。
助監督を約13年務め監督になった佐々部さん。「どうやってデビューするかがすごく大事だって思ってたんです。だから僕は商業映画にこだわっていた。60歳がデビューでもいいと思ってましたし」。チーフになっても出来るだけカメラの横で役者の息遣いを感じていたかった・・・とおっしゃっていました。
— 切通理作 (@risaku) 2020年3月31日
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マニィ大橋さんは現在、FM山口「ひといき」月曜日に出演。