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ファミリーヒストリー SAM シーボルト事件、能との関わり

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DJ KOO これだけお医者さんの家系が続いていると言いながら、本人踊ってるんで、どっかにそれが出てきて欲しい。江戸時代のダンサー募集です。YES!!

5人きょうだい。長男は歯科医、三男は産婦人科医、四男は整形外科医。※この総合病院に全部診てもらえる感。叔父も外科医。

龍八(初代)

勝浦藩所属の武士だった

が、大岡さん(忠光。藩主は大岡忠相。親戚にあたる)が移封(いほう)してきて、勝浦から岩槻に来て丸山家が始まった。

吉正

高祖父

藩士の監督とか、不正を働かないように目をつける仕事をしていた。今でいう警察。1861年和宮降嫁の警備。明治5年、埼玉県庁の職員に採用される。岩槻からは距離があるため今福屋に下宿。租税係。地租改正を推し進める。妻のぶとの間に生まれた一人娘・よ袮は結婚の理想として式台のある家に住むことを希望し、今福屋のおかみに相談、甥っ子の医者横田五郎を婿養子に。

横田家

曽祖父 五郎~

先祖は山ノ内氏勝。1538年生まれの戦国武将。1590年、奥州仕置ですべてを失う。SAMの直系の子孫は氏勝の次男、氏重。息子氏澄は眼科医に。横田家は昭和20年頃までは地元の名士だった。
五郎は21歳で医術開業試験に合格。翌年日清戦争。医師として出征。森林太郎(=鴎外)のもとで働く。明治29年結婚。岩槻に丸山医院を開業。

シーボルト事件

横田玄庵(6代目)

眼科医・土生玄碩(江戸時代の医師。白内障の手術の際、針で目を指して汚れを取る技術ができた。その評判が良くて将軍家の医師に)一番弟子。
1828年、手術で瞳孔を開く薬をシーボルトが持ってきたと聞き、教えてもらう見返りに葵の紋服を渡す。シーボルト帰国の時、持ち出し禁止の日本地図や渡した紋服を持ち帰ろうとしたことが発覚。責任を問われた玄碩は牢に入れられ、息子玄昌も職を失ったが、世話をしたのが玄庵だった。お礼に薬を玄庵に伝える。

丸山光子(祖母)

宝生金五郎英周とのつながり

宝生欣哉(下掛宝生流13代目家元)とは高祖父が同じ吉正。光子の結婚写真を宝生家に預けるつもりだったのでは。新は曽祖父の兄で、夏目漱石高浜虚子に唄いを教えた。
欣哉 手先足先とかを気にして舞台に出ないと綺麗に見えないので、体を持って表現するという(共通点がある)お客さんに喜んでもらうことを僕らもしているし(SAMさんも)一緒のような、みんなに喜んでもらうことをなさってますもんね

SAMのエクササイズ

加藤勉さんは郷土史のつもりだったのに、横田家の人々はほぼ思い出しか言わなかった。

岩崎家

SAMの母方

SAMの母方のルーツが徳山とは。岩崎さん。ちなみにくすりの岩崎チェーンとは無関係※ローカル。岩崎三四郎長州藩で蝋を製造。油の製造事業の責任者。祖父寛一は徳高卒業生。昭和9年、豊島区に産婦人科医院を開業。SAMの母温子は学習院中等科卒業。昭和32年、正義と結婚。1962年SAM誕生。父正義は98年、70歳で死去。生前、ダンサーになりたいというSAMに「一流になれ」「やるからには真面目にやれ」と言った

余談

リフラフ

思い出した。チャッピーとかどないしとんやろ。84年。

リフラフ 「ANO・・・娘」

リフラフ 東京涙倶楽部

井口和久(ダンスチームの元メンバー) すごい真面目でした。考え方もやってることも。すごいストイック。バレエのバーレッスンもひとりでやってた。
2018.11.27読売新聞「好きな平成の歌」TRFが1曲もないの寂しすぎ。あれがないこれがないはなるべく言いたくないけど回答数も少なすぎ。

追記 2020.10.2 まって有吉反省会、SAMが2歳サバ読んでたとは。じゃ1960年生まれなん