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【感想】100分de石ノ森章太郎 さるとびエッちゃん ヤマザキマリ 竹宮惠子

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さるとびエッちゃん

週刊マーガレット1964年3月8日号~

当初、「おかしなおかしなおかしなあの子」がタイトル。1971年アニメ化 ※再放送で見た記憶あり
夏目 意識的にギャグマンガを描いてる。手塚(治虫)先生なら内面に悩みを抱えてる。そこがない。たぶん少女漫画でこんなタイトルのキャラクターはいない。

伊集院:魔法少女モノの三番煎じぐらいだと思ってた ←※同世代なんで、アニメ化を先に見た。自分もそうだと思ってた。64年作品とは知らずや。
ヤマザキ:けしからんですねえ。でもしょうがないんですよ。女の子が果たして全員、エッちゃんに感情移入できたかというと、いま夏目先生がおっしゃったように中身が見えなくて何考えてるかわからない。わたし的には、変わった少女だと思うんです(笑)虫とか動物大好きで、意思の疎通したくてしょうがなかったんです。エッちゃんが赤ちゃんと話できたりするのが羨ましくてしょうがなかった。
夏目 補足するとしたらSFというのをあれだけ少女漫画でやった人はあんまりいなかったんですよ

ヤマザキ エッちゃんの家はめちゃくちゃハイテクで、わけわかんない家に住んでんです。ボロ家なのにボタン押したらいろんなものが自動で出てくる。そういう家のお嬢さんなんです。彼女はご両親がいないんです。表現の仕方も不思議で。生存してるのかしてないのかちょっとわからない。よくよく読んでると火星に住んでるみたい(科学者)そこが女の人の作家じゃ出てこないんです。コメディーなんですよね。漫画家の立場としてすごく大事だなと思うのは、笑いで、深いところにどう引っ張っていくか。ドタバタコメディでありながら、日常の普通の1965~66年の小学校だったり、ガキ大将がいる。

心がわしづかみにされるような、悲しい背景が描かれてる

伊集院 何より異質なのは、エッちゃんがドヤ顔をしない。こういうことを私はやったんです、解決しましたっ!て顔を全くしない。
ヤマザキ そうなんです。彼女は飄々と、俯瞰で人間社会を見る存在。貧しい友達、困ってる人を見ていることができない。いろんなマジックをかけてしまう。

エッちゃんがお転婆で落ち着きがないってのしか覚えてない。なにぶん幼少時の記憶なので。家庭の事情もこんにちまで知らんかった。原作読みたくなった。自由帳に女の子描くような可愛い対象じゃなくて、東北弁でしゃべるし。

石ノ森 少女漫画のメロドラマ風じゃなくて、なんとか新しい方向、SF、ミステリー、推理モノのジャンルを描きましたね(訪問インタビュー 1984年放送)

竹宮惠子

メモ:(昭和)24年組 70年代に少女漫画の革新をになった女性漫画家たち。萩尾望都大島弓子竹宮惠子など。※里中満智子もだよね?

少女漫画は広がらないもんです、と編集者の方が思っていて。女の子たちには無理だよ、という考え方の方が多かったんです。それを打破することが、石ノ森先生から託された仕事かなあと思いながらやってました。一番すごいなあと思ったのは「...」研一さんと行かないってごねてるシーン。(※「龍神沼」1961)つまり沈黙してる時間。いつもしゃべっていない。つっかえたり。女の子はここを読んで、感情をいろいろ考えちゃう。目に見えてる部分だけじゃない。絵も確かに素晴らしい。よく学生たちに言うんですけど、たった一コマに何の感情が隠れているかを考えてくださいって言ってるんですけど....何も描いてなくて風景のワンショットだけで私情が作れることを知ったのが、石ノ森先生の作品。

最も影響を受けたのは「マンガ家入門」(1965年刊)作る側から見た事実、やすやすといかないところに真実を感じた。とり・みきさんは初版を父親に買ってもらったそう。

70年代の小学館「まんが入門」は赤塚不二夫版。それは持ってる。石ノ森版は手に入らないだろうなぁ

精神科医・名越先生は「サイボーグ009」を熱く語る。第3章は「幻魔大戦」あれは確かに平井和正テイスト。石ノ森章太郎だけじゃ描けない(※高校生の時に映画見に行った。)幻魔とはエントロピー、宇宙の秩序ある世界を混沌に帰す”破壊の権化” おお、休みがなかなかないが隙あらばじっくり見たいこの番組、改めて原作を読み返したい。

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ヤマザキ まるでエッちゃんの話。潜在意識下にあった。
伊集院 自分が子供の時にエッちゃんにシンクロしてるってことは、エッちゃんを通して
ヤマザキ 今でも虫とかに話しかけてる(笑)