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メモ代わり。ジャンルも気まぐれ

【再掲・訃報】ザ・ベストテン / 山田修爾を読んでるとこ。

※この記事は本館ブログ 2008.12.30に加筆修正しています。

注:9月27日放送金スマ 関連記事

5年後に「訃報」というかたちで再掲することになろうとは思いませんでした。

山田修爾氏(元TBSプロデューサー)は、2013年8月28日、
突発性間質性肺炎のため
67歳でお亡くなりになりました。
数行ほどの短い記事ですが、新聞で知った瞬間ショックを受けました。
以下、当時の記事↓

11年間、ディレクター、プロデューサーだった山田修爾さんの著書だ。
この番組を振り返ることはまんま自分史だったりする。

ザ・ベストテン (新潮文庫)

ザ・ベストテン (新潮文庫)

ザ・ベストテン 1980-81

ザ・ベストテン 1980-81


1978年から12年間、オンエア603回。

あなたはいつまで「ザ・ベストテン」を見ていましたか?
いつごろから、飽きてしまいましたか?

ワタシは87年からの記憶があいまい。

巻末付録のベストテンランキング掲載を眺めていて、
10曲中1~2曲、どうしても思い出せない、
或いは全く知らない曲がランクインされ始めるのが87年ごろ。
高校を卒業し、初めて社会人になった年だから、夜遊びしていてほとんど見ていない。
小西博之が司会だったかもしれない。

87年1月8日付第7位 西村知美「16粒の角砂糖」


東芝シュガーCM 80年代 - YouTube

同年5月28日付第10位 島田奈美「内気なキューピッド」

島田奈美 内気なキューピッド - YouTube
・・・知らんなぁ。ご免ファンの人。


おっ思い出せない。
他にもゆうゆの「-3℃」とかその手のアイドル関係の歌を知らない。
88年はレンタル屋通いをしていたせいかほぼ全曲歌えるか歌詞を言えるのだが、
89年になると再び女性アイドルの一部が分からない。
番組終了1週前、89年9月21日の9位「真剣(ほんき)」by田村英里子もわかんねぇ。
いや彼女のことは知ってるんだけど。

欲を言うなら、11位-20位の曲も載せてほしかった。
しかしそうなるとタウンページぐらいの厚さになるのか。

デビュー直後の歌手・小泉今日子に「きみはドラマ向き」(一部引用)

一言多かったなと後で反省した(中略)
1982年10月21日の第10位は初登場「ひとり街角」
注目の新人だけに関係者はレコード会社、プロダクションで20人ほどはいたと思う。
リハーサルから全員が注目・・
小顔で愛くるしい笑顔、小柄だがはちきれんばかりの若さを感じていたのだが、それだけではない何か。
「思ったんですがあなたは歌もいいけどお芝居の方が伸びるかもしれないですよ」
「・・・はあ・・・」
初登場した日にいきなり役者のほうが似合ってるとはびっくりしただろう。
「何?この人?」と怪訝な顔をしていた。
今考えればとっさに言ったその直感は当たっていたと言える。

では山田さんは晩年「あまちゃん」を観ていたのかもしれない。
また「思い出のメロディー」内でのザ・ベストテン企画は、どうお感じになられたのか。

シャネルズをめぐる黒人差別問題。
岩崎宏美「すみれ色の涙」を原爆の日に広島で歌うまでの交渉も記されている。

ところで、せっせと官製ハガキを投函していた人、料金いくらの頃の話ですか?

番組スタート時~80年12月?ぐらいは1枚20円。
81年1月(→マッチの「スニーカーぶる~す」が1位)だと30円。
4月(→寺尾聡「ルビーの指環」連続1位のころ)から40円。
89年4月(→「地球を探して」光GENJIが1位→WINK「涙を見せないで」が
4月最終週から1位)から41円。だそうです。

この本には山田さんと黒柳さんの対談も載っているし、久米さんのエピソードや、
各歌手のデータ、裏話もたくさんあって読み応えがあるし、なにより記憶がよみがえってくる。

黒柳徹子久米宏が最も輝いてたあの時代にタイムスリップできる気がして。
今のお二人は残念ながらあまり。。。
初版本の帯には

木曜夜9時は少し遅れてきた青春でした。黒柳徹子

木曜夜8時59分は脈拍が倍になっていました。久米宏

とある。

購入当時は単行本でした。

現在は文庫化されている。

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