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人生案内メモ、文字起こし、感想。

関ジャム 山下達郎インタビューまとめ FOR YOU、歌い方、歌は言葉

アルバムを作るタイミング

FOR YOU

構想を立ててから?曲が集まってから?

この頃は基本的に年1枚出さされてたんですよ。常識。下手すれば年2枚出す人もいた。僕は作曲家に近いスタンスなので、日々メモって「こういう曲にしよう」とかじゃなく、曲がたまってその中から選ぶ。でも70年代は売れないミュージシャンだったので、かつかつにしか録らせてもらえなかった。10曲入りレコーディングのアルバムは、せいぜい12曲。

バンドと違って僕らみたいなソロの場合は、アルバムは曲を作って、スタジオでレコーディングするときに初めてやる。だって予算ないもん。リハーサルなんかできない。スタジオミュージシャン呼んで、3時間で2曲レコーディングする、基本的には70年代の普通のことだった。

自分でアレンジするので、例えばコーダとかもう1小節ほしい、それが心残りで、もう1回やりたいと思っても予算の関係でできない。どうすりゃいいんだ「レコード売りなさい、売ればやれますよ」言われた。だから、レコードを売りたいと思った動機はそれ”もうワンテイク録りたい”と思った。そういうことをしたいんだったら、あんたの売り上げでは無理ですねって。RIDE ON TIMEがヒットして1番うれしかったのは、レコーディングにお金がかけられること。FOR YOUは倍の曲数が録れた。あとは、スタジオミュージシャンじゃなく、自分のパーマネントのメンバーが確定できたこと。だから、RIDE ON TIME以前と以降で全然やり方が違ってる。FOR YOUはたくさん録りたい、ただそれだけ。全部リズムパターンだけで作って、そこに歌詞をつける。トラックとリズムの構造を有機的にしたい。

11年ぶりアルバム

シングルはできるけど、アルバムという形でコンスタントに出す肉体的なエネルギーと集中力は、ライブやりながらだとなかなか...80年代はライブやって、アルバム作って、人の曲も...まあ30代ですからね、もうとても歳なんでね

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FOR YOU (フォー・ユー)

クリスマス・イブ

一人アカペラで8時間。クリックを聴きながら重ねていく。絶対その日で歌いきってしまわないといけない。50声。実際には27声。オリジナルは残ってない。

スタッフ:思い出せちゃう?

ひとりでやってんだもん!!

※スウイングル・シンガーズ
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歌い方

ニュアンス

僕らの世代の人はみんな特殊な歌い方をする。僕は「アイウエオ」がほとんど「ハヒフヘホ」になっちゃうし。たとえば矢沢永吉さん、桑田佳祐さん、忌野清志郎さん、みんな特徴ある歌い方をするのは、メロディーに日本語が乗りにくいことを歌唱法で克服した結果の発音。僕が80年代に一番考えていたことは、いかに洋楽的なトラックに日本語を乗せるかを考えた場合に、うちでキーボードなり、弾きながらメロディーを考えるので、リズムパターンとしての整合性が取れない。弾き語りであって、それはポリリズム(パートにより異なるリズムが同時に演奏されること)としてのドラム、ベース、ギター、キーボードのコンビネーションの上で作られたリズムではない。

日本の場合は、とにかく歌っていうのはまず「言葉」なぜか?国語教育だから

日本人は国語教育は6・3・3・4で徹底的にやる。それと同じ経済的・人的労力を音楽教育に入れたら全然変わる。「ここのブルーグラス(またはドロップス)はすごい」日本の場合は、言葉はだれでも評価できるから。だから、音楽の70%は詞なんです。ここをまず認識しないと、日本のヒットソングとかポップミュージックに関しても、この詞はいいね、とこの曲はイイね、は同義。だから、曲の方にあんまり重点が置かれすぎると「この曲は難しい」とか「詞がね...」そういうことを47年、言われ続けて育ってるんです

ラジオを聴いてる感覚。情報量すごすぎる。ディア・フレンズも三昧もすごいしゃべり量。かぶったエピソードもあるだろうけどほぼ聴いた。NHKFMはところどころ聴いてないので、らじるらじるで一週間かけて聴き直す。

休憩中のオフトーク

CDとか無いと思ってた

そんなマジメに考えなくていいの。たかが音楽。お客は呼ぶんじゃなくて来るのでね。来るんですよお客は。来るからやっている。とっくに来なくなると思ってた。70になったら難波と伊藤と3人で、ライブハウスで70人くらい相手にして、全国をぐるぐる回って酒飲んで「今日はイマイチ」と言ってると思ってた。気楽に。69でまだホールツアーやって新譜出るとは...2022年にはCDとか無いと思ってた。パッケージとかも滅びてるって。サブスクだけになったら生活成り立たないから「だったらライブだ」戻ったんです、2008年に。それまで僕にとっての音楽は、基本的にレコードを出すこと。ライブはレコードを出して、そのお披露目のためにツアーやってレコードの曲をやって、レコードの拡売をしての繰り返しだった。逆転するだろうなと思ってライブに戻った。やっぱり年取ったんで、肉体労働なんでなかなかアルバムはね...アルバム次に出せるかな?って考えた。

もうダメだと思ったこと

GO AHEAD!

スタッフ:今までの活動の中で、ミュージシャンとしてやっていけないと思ったことは?

何度もありますよ、そんなの。本当に...78年に「GO AHEAD!」というアルバムを出しましたけど、まだLPの時代で最後の曲が「2000トンの雨」。あれがフェードアウトしていくとき「あぁ、これでもうレコードを作ることないな」と思った。売れないから。

所属してた原版出版会社は「もうダメだね」みたいな。ソングライターでやるかCMで食っていたので、CM作家でやるか。最終的にはレコード会社のA&R(アーティストの発掘、契約、育成など)そういうふうになるんだろうな、と。レコードプロデューサーみたいなものになれれば理想だった。でもこうやって自分の名前をかして、無から有を生むような形で表現活動ってのはおそらくできないだろうなと思ってたら「BOMBER」がなぜか大阪のディスコでヒットして、運命が変わったんですよね。

ムーン~ワーナー~MMG~イーストウエストジャパン

僕は実際、82年にムーン・レコードってインディーズレーベルを立ち上げ、役員なんです。「歌う取締役」と揶揄された時代もあります。それからムーンレコードがワーナーに売却され、エム・エム・ジーになり、イーストウエスト・ジャパンに。97年までは制作部長のポストはなかった。それ僕のために残されてたポストで、最終的にそういう形で制作統括する立場になるだろうと、自分では思ってやってた。本当だからね。誰も信じないだろうけど。

83年「MELODIES」作るんですけど「FOR YOU」ぁらいきなり路線変更。あと何年俺やればいいんだよ、とビジネスパートナーと話した。
「90年まで頑張って。7年頑張ればなんとかレコード会社が軌道に乗る」90年に、最初で最後の武道館をやって引退しよう、37歳ですけど。その頃はロックだ、フォークだの、30歳超えた展望なんて誰も持ってない”Don't trust over 30"の時代。69歳でこんなことをやってるとはね。本当に夢にも。

こうなっちゃったら、いつ辞めるもへったくれもないので、しょうがないから一生やるしかないなって。1にも2にも、聴いてくれるリスナーが残っていただいたおかげなので。自分の努力とか関係ない。本当に聴いていただいた方のシンパシーのおかげ。

CMソング

フルーチェ、シャービック、不二家ハートチョコレート

人に曲を書くとかそういうことは、いちばんCMが長かった。バンドじゃ食えないからCMで生活していた時代が一番長い。あとはコーラスのスタジオミュージシャンとか食えなかったので。だからできる仕事は何でもやった。当時はコーラスという職がすごく少なく、特に男のコーラスボーイがいなく...ロックのコーラスで着る人間が、男で僕一人だった。一手に引き受けてやってた時代がある。そういうところでやってるうちに「曲を書いてみないか?」とか、シュガーベイブでレコードデビューしてから「アイドルの曲を書いてみないか?」とか声をかけてくださる方がいて。
アイドルに曲書くなんて日じゃなくて

CMって色々要望がある。アイドルに曲書くなんて比じゃなくて。たとえば、画とシンクロするとか。

基本的に当時のコマーシャルソングは30秒・15秒、歌詞はコピーライターで、作曲、編曲、演奏、歌唱で3時間で30秒・15秒上げるのが一仕事だった。3時間完パケ。それを100本以上やった。月にそれを何本かやると食いつなげる。それでようやく飢え死にしなくて済む。

ハウス食品フルーチェ、シャービックとかは僕が最初。新製品が出たときに。あとはハートチョコレートが、一番最初期にやらせてもらった。
忘れられないチョコCM集。 - 別館.net.amigo

みぞれっ子
Tatsuro Yamashita House Mizorekko & Sherbic - YouTube

基本的に、フィルムの方は、音楽に文句を言う。音楽の立場の弱さは、この仕事始めた47年前から変わらない。逆にそれが自分の中の引き出しを増やしてくれた。CMだとハードロックやらなきゃいけない、ラテンもやらなきゃいけない、音楽性に対する要望は大きい。
おっきな事務所に入って、初めから10tトラックでツアーやらせてもらってみたいな、そういう生活じゃないライブハウスで20人30人から始めているので、サブカルチャーなんですよぼく。所詮はね。