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SWITCHインタビュー達人達 安藤なつ X 僧侶・看護師 玉置妙憂 夫、終末期医療

玉置妙憂(たまおきみょうゆう)さんとは

33歳で看護師の資格を取り、49歳で出家。

終末期を迎えた患者の家族に寄り添うケア(スピリチュアルケア)を行う。緩和ケア病棟勤務。1964年生まれ

玉置:子供が3ヶ月ぐらいから、血便が出るようになっちゃって。素人だったからうわーってなって。どうしたらいいかわかんなくなっちゃって。入院したんですけど。自分に知識がないとこの子を20歳まで育て上げることができまいと思って、看護師の勉強をしようと思ったんですね。30歳で看護学校に入ったので、みんな周りはピチピチでした。18~9の女の子で、ひとりトウが立って。

安藤:大変でした?

玉置:社会経験をなまじしてるから。ほかの方々は高校出てすぐ看護学校行って看護師になる。寄り道してないじゃないですか。こっちはちょっとスレてるところあるから、そりゃ違うだろと思うことも若干ちょっと。それが通らない。先輩は先輩だし。ジレンマとストレスで何をしたかというと、じゃあ資格とか学歴とか、さらに自分に武装すればいいじゃないかって、やたらめったらいろんな研修会に行って認定証集めたり、大学院に進学して学歴集めたり

安藤:超えられない壁を別の武器を持って
玉置:そうそう、なんとかマウントを取ろうと思ってね(笑)
安藤:マウント取るタイプだったんですか

玉置:昔は。必死だった。看護師になりたての頃は自分で精一杯だから、先輩から怒られないようにやる。そっちばっかり見てて患者さんを見てない。私たち医療、看護の力で変えると思い上がったところもあったと思う。でも同時にうまくいかないのも目の当たりにして、なんでだろうとモヤモヤしたものは持ってて

2008年、夫にすい臓がんが見つかる。自宅に帰ることを望んだ

玉置:最初は許されないことだと思ってた。大学病院にいて、治療の最先端にいたから。最初はなんとか説得して、真面目に治療させようと思った。でも1ヶ月かな、すったもんだしてわかったのは、治療したいんじゃなくて、やりたいことがあるんだなと。病院に入ってしまったらできないことがある。写真撮ってたから、データの整理したいんだな、とか。毎晩アルコールで体内消毒したいわけですよ(笑)

安藤:じゃあ消毒してましたよ、きっと(笑)
玉置:ですよね。その体内消毒は病院でできない。いろんなことがあって、最後は根負け。
安藤:旦那さんに対して、アップアップしてますよというのを悟られないためにしてたんじゃないかなと思うんですけど
玉置:むっちゃ悟られてたと思います。やっぱり仕事と自分の身内のことになると全然違う。もう勘弁してくれってことも思ったし。部屋から呼ぶんですよ、わたしのことを。何度聞こえないふりをしたか。本名、俗名が憂子っていうんですけど「憂子さ~ん!」最初のうちは走って行ってたけど、もう、布団かぶって。腹たったのは、呼ばれて行ったら「寝ていいですか?」
安藤:いいよ、寝て(笑)
玉置:あたしに断らなくていいから寝て(笑)その時は腹たってたから、呼ばなくていいって言っちゃったんですけど、今になって振り返ればめっちゃ寂しかったんだろうなって

終末期医療、在宅医療の感覚

玉置:家全体がひとつの繭みたいな中に入ってて、その繭の中では全く違う時間と空間があったような感じ
安藤:閉鎖された空間というか、そこに包まれたもののみが感じる
玉置:私たちが持っている時計とは違う時間の流れ方をしている感じ
安藤:速いとか、遅いとかは

玉置:速い時もあるし、遅いこともあるし。一定ではない。びっくりするぐらいに症状が進むこともあって。ちっちゃいころから今まで、あんなことがあったこんなことがあったってお話してくださる時もあって。夢の中で見たって言うんだから。そういう時は時計がゆっくりになってるんだろうな。本当に違うんだろうね、時間の流れが

在宅医療2年間ののち、夫は亡くなった

玉置:ウワーンって感じじゃないですよ。泣く感じではなかった。あっぱれだったんだよね、気持ち的には。飲めなくなったら飲まないし。点滴も全然しない。人間て枯れてくんですよね。たんも出ないしむくみも出ない。人間てこうやって自分で自分の体の後始末をして、死んで行くように作られてるんだなあって。主人看取って納骨して、この世でやるべき俗世の仕事は全部終わったみたいな気持ちになったんですね。全部あそこで浄化された気がしてる

子供たちを実家にあずけ、高野山で修行することを決めた

※すごい。できない生き方。うちも父の三回忌が終わった。在宅ではなかった。ゆるやかに枯れていくのは本当。泣く感じではなかった。

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