本名は古舘克彦
古舘家・清太郎
当たり外れの多い番組ですよね。僕のルーツが滑ってるみたいだと申し訳ない。何回かスベッてる回もありますんで※本名は古舘克彦
それでアクセス多かったん。同じ古舘姓
名護屋氏から分家したのが古舘一族。
城の石垣や壁の修繕にあたっていたが、明治になると職を失い、炭鉱へ。高祖父・小源太は炭鉱夫をまとめていた。曽祖父・清太郎は唐津中学に進学。18歳で父と同じ炭鉱の道へ入ったがなじめなかった。徳富蘆花「自然と人生」に心打たれ、上京。素庵を訪ね、門下生に。早稲田大学英文学科へ進学。同期に西条八十、坪田譲治、直木三十五、鷲尾雨工が同級生。
大正二年、24歳の時7歳年下の幼馴染福岡シズヨと駆け落ち、同棲(父・庄太郎は失踪→・サーカスの演目として柔術を見せていた。フランク・ブラウンと対決→パラグアイに移住、マッカランとも対決。どんな父ちゃんや。昭和15年、パラグアイ使節団員としてシズヨと再会。昭和22年69歳で死去)
清太郎が徳富蘆花へ宛てた手紙
先生、私は女を作りました。その女と共棲しています。でも私は、文学は捨てません
卒業後は定職に就かなかった。シズヨはおでんやなどいくつもの仕事を掛け持ち。←当時の新聞に掲載
のちに清太郎就職。/29歳の時、直木三十五らと春秋社を立ち上げ。最初の出版は「トルストイ全集」翻訳も手がけ、初版5000部完売。昭和11年、経営方針をめぐり対立。春秋社を離れ小説「国境」発表するも売れなかった。
祖父・融(とおる)父・豊
日大卒業後、三越に就職。23歳の時太平洋戦争が始まるが、行かず。終戦から三年後結婚。タクシー運転手に転職。妻栄子は昭和41年、46歳で死去。翌年融は網膜剥離。手術中に停電になり手術中止。片目の視力を失い、タクシー運転手を辞める。
次男豊は兄とアルバイトに精を出し、立教大に入学。弟の学費も捻出。昭和51年、貿易商社に就職。3年後結婚。ブラジル勤務。伯山の本名・克彦は柏崎克彦さんからとったもの。昭和61年帰国。42歳で亡くなった。
聖学院高校 森本平先生の授業
伯山 変わってる授業でしたね。みんな黒板とかに「ゴミはゴミ箱へ」とか当たり前に書いてあるじゃないですか。先生がそれ見て授業始める時に「俺もゴミだから、ゴミ箱の中に入ってやるか」って言って、ゴミ箱入りながら授業してましたね(笑)もう狂気ですよね。歌人だって言うからどんな歌詠むのかなと思って。すごい当時女子高生がガングロにしていた時代なんですよ。僕の時代はね。何詠んでんのかなと思って。正確じゃないんですけど「女子高生をガスバーナーで焼いてガングロにする」みたいな。完全にコンプライアアンスアウトなんですよ。いまジャンルとして歌なんて誰も詠まないし聞かないと。そういう時にどうやって現代の他のものと戦っていくんだという時に、ある種キャッチーなどす黒いエログロな面も見せていかないと勝てないと
森本 喜んでもらえてなによりですが、こちらは内心失敗したと思ってました。動きにくいですからね(笑)楽しませるのは、聞いてもらってなんぼと思ってますから。あくまで私個人は1回1回、授業がステージみたいなつもりでやっていたので。生徒はもろもろが気になるものがあっても語弊があるかもしれないけど、その時の観客というか、そんなつもりで。演じるような感じでやってはいたので
母方の祖父は鉄道連隊→東京市電気局、市電の運転士に。
関連
ペンブックス29 1冊まるごと、松之丞改め 六代目 神田伯山 (Pen BOOKS)
- 発売日: 2020/02/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)