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人生案内メモ、文字起こし、感想。

ファミリーヒストリー 西田敏行 5歳で養子に、ルーツは薩摩藩

5歳で養子に

養子に行った日、母に連れられて福島の姉夫婦のところへ。

養母がですね でっかい梅干を僕の手に乗っけて、お砂糖かけてくれて。それだけは覚えてるんですよ。背後で母同士が話してて
(養父とは)血縁関係が全くなかったわけですから

三瓶家は実母と養母

先祖代々農業。敏行の母方の曽祖父・甚助は明治25年5月9日、失踪届。結婚して子供が出来てからの失踪。元来農業が肌に合わず大酒呑み。愛想を尽かした妻は出て行ってしまった2年後の失踪。

兄(14)、弟(8歳)が残る。弟は親戚の家をたらい回しにされ、学校にも行けず、衛生環境が悪かったため、兄も20歳で死去。

天涯孤独となった弟甚吉は、サンペイからミカメへ改名。大正4年、大戦景気となり、博多湾鉄道汽船に就職。独学で財務を勉強し、支店長を任される。子宝に恵まれ、東京に異動。次女は陸軍の西田辰治と昭和17年結婚。辰治は択捉島へ、次女は疎開
三女・紀惠(のちの敏行の養母)は郡山で今井泉(敏行の実父)と出会う

今井家

本家は大阪府和泉市

先祖代々大阪博多藩の家老。定番と言う重責を担い、屋敷を構えた。敏行の祖父・陳平は博多村の村長を務めた。19歳で貯金局に就職した泉は一つ年下のサヨと結婚するため実家へ。お腹には既に赤ちゃんがいた。結婚を反対され駆け落ち。貯金局への転勤を気に大阪を飛び出す。東中野に暮らし、6人の子供達を育てる。

取材で孫が見つかったが、敏行と面識がなかったため、これまで表に出るのを控えてきた。

昭和5年、36歳の時、妻サヨ死去。7人目の出産で、母子ともに帰らぬ人に。五女も亡くなり、二度再婚するも、二人共病死。

郡山支局長へ転勤。52歳。朝礼で「庭の千草」を歌ってた。大柄な容姿と優しい内面。

紀惠22歳、新人局員、31歳の年の差、周囲の猛反対を押し切り結婚

敏行誕生

1947.11.4

何事にも動じず、素早く行動して欲しいと泉が名付けた。貯金局の裏手の官舎に暮らす

西田敏行:(泉の)裸踊りの件は、私も釣りバカ日誌という映画撮って、なんか面白いことやろうというのが裸踊りだったんですよね。ハマちゃんが。人前でぽんと歌を歌うところも受け継いでいると思います

紀惠の姉・美代の夫、辰治が無事引き上げてきたのも同年同月。辰治の再就職先は泉が見つける。翌年長女誕生。7ヶ月で伝染病により死去。泉も57歳で肝臓病で死去。宇都宮に転勤直後のことだった。

敏行は3才の頃だったが、葬儀でたくさん人が集まるため「父ちゃん死んでありがとう」喜んでいたらしい

紀恵は美容師として生計を立てようと「白菊美容室」を。相談相手は美容室の電気工事を請け負った中村恒雄

恒雄にも前妻との間に一人息子がいた。息子同士は同い年。中村家の跡取りがいるのに、敏行を連れて再婚できるのか。

美代は娘を亡くして以来子供ができなかった「あなたさえよければ、敏行は私が育てる」

西田:受け入れようとしていた自分がいたように思います。ブレーキをかけてたような。なんとなく子供の直感なんだけど、これを聞くことで、大人たちが返事に窮することがあるんじゃないかと察していたような自分がいたように思いますね。いつか紀恵さんは迎えに来てくれるだろう、とは触れちゃいけないもんだと。養母の美代は、本当のお母さんでもないのに、なぜそんなに怒れるの?と

昭和28年、敏行は養子に。紀恵は中村恒雄と再婚。

西田家のルーツ

薩摩藩の武士

鹿児島県鹿児島市清水町

西田源左衛門は滝の上火薬製造所を取り仕切る武士の一人。245坪の屋敷

西田源左衛門のひ孫は西田敏行島津藩篤姫の世話をしていた池端喜八郎のひ孫は加山雄三。その近所、萩原一兵衛の玄孫は恵俊彰

翔ぶが如く西郷隆盛を演じるのに迷った