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ファミリーヒストリー 北野武 ビートたけし 父・菊次郎 母・さきの真実

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子供時代から悪い友達来るでしょう「うちの武と付き合うと警察に捕まるよ」そう言って帰してた。....この番組自体が怖いのよ。俺 石川五右衛門だったらどうしよう

北野うし

祖母

「たけしくん!ハイ」祖母役は千石規子。あれが義太夫のおばさん(うしさん)なのか。しかも長唄がうるさいうるさいw

たけし:汗たらしながら「う~う~」ってうるさいうるさい
三男・北野大「うるせえな」と思ってました。ほんと悲惨な家だった

うしさんの資料は東大にあった。雑誌「別世界」娘義太夫として掲載。芸名竹本八重子。徳島生まれ。通町は殿様の通り道。明治には徳島有数の中心街として栄えた。曽祖父の名前は鶴蔵。粉問屋屋を営み、うしの義太夫節を楽しみだったが恐慌で資金繰りに行き詰まる。うしは東京にチャンスを求め、日本橋などの寄席に出演。東前頭6枚目まで出世。仕送りを続ける。(前頭とか力士みたい)

北野さき

たけしの母方の祖父の名は寅吉。その次女がさき。さきが尋常小学校を出る頃に父も亡くなった。両親以外に姉や兄も若くして全員亡くなっていた。頼るあてのなくなったさきは東京へ。

東京本郷区高山市平宅(やたらトイレがでかい屋敷)14歳で奉公人に。邸のトイレ掃除など下働きをしていた。

※たけしの姉・泰子さんTV初登場(80歳)
いまでもEXILEのライブに出かけるほど元気。たけし:俺んとこにEXILEのコネないかって言ってくるんだよ(笑)

「(母さきに)人間は意地がなくちゃダメだ、としょっちゅう言われた」

高山家夫人はある日竹本八重子(うし)を、娘たちの義太夫節師匠として招き、そこでお手伝いをしたのが19歳のさき。さきを気に入ったうしはうちの洋品店で働かないか」と声をかける。さきは徳次郎と結婚する。徳次郎は盲腸炎で死去。うしの甥っ子菊次郎と再婚。

たけし:男爵家とか高山さんは知ってるのね。でもおれには「私は師範学校を出て」ってずっと言ってたのに便所掃除やったのか。それ知ってたらもっとけんかした。

正端(しょうずい)菊次郎

たけしの父。漆職人。名字のルーツは徳島県阿南市)にある正端城。元々は「勝瑞」→正端 ※明治の戸籍登録の際「端」と誤記

大正15年、北野家と養子縁組、さきと結婚。

泰子さん:(菊次郎は)要するに見栄っ張りなのよね。頼まれると断れない。それで今の足立区に夜逃げ同然で引っ越してきたっていう。なんていうのかしらね、道楽者っていうのかね。父親を褒める子供は一人もいないわね、うちは(笑)(さきは)お金はいくら持ってても人に取られたら何もならないけど、教育だけは人に取られないって

貧乏は教育で経つ

たけし:正し端なんて聞いたことない。ハセガワって聞いたけど(笑)
大:「悪いじゃねえか」っていうのがおやじのキーワードですね。

値段の張る漆の仕事からペンキ職人へ。昭和17年、大さん誕生。戦争中は戦闘機の塗装。

武の名前の由来「竹のようにどんな困難にも耐えてすくすくと育ってほしい」
旅行に連れてってやる、って言うから嬉しくてついて行ったら神田の古本屋。どこが旅行なんだ。英語の塾行かされて「How are you?」って急に言わされたり

長男重一さん(故人)はエンジニア。泰子さんは軽井沢でペンション経営。たけしは明大工学部に現役合格するも「やめちゃうというのは最高の反抗だな」と
「やめる!」とおもったら空がすっきりしたわけでもないけど、異次元に行っちゃったような。大学3年で家出しようとすると、さきに「大学まで出してやったのに!お前なんか子供じゃない!絶対帰ってくんな!」

大学辞めてんのに学費はおふくろが払い続けてたわけよ。いつでも戻れるようにって。何をやりたいわけでもなかった。ただ浅草の従業員になるとフリーパスがもらえる。でもそんときに笑ったのコント55号ぐらい。一番人気があった人は全然面白くなかった。あんなつまんないことで高い車に乗れるなら、俺も漫才やろうかなって

たけしは古本を読みあさって勉強。

昔のツービートの漫才をいまNHKで見ることは不可能だよね。コイツ(きよし)山形県で最初に立って歩いたんですよ、だの、死刑囚100人に聞きました、だの。
たけしの番組に、さきさんは最後まで笑わなかったが、タケちゃんマン人形と「好きなタレント第1位(女性は山田邦子・92年)の新聞記事の切り抜きを大事に持っていた。

小4の時、標語で「ちょっと待て 赤い目玉が 光ってる」が入選
漫才ブームで「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」


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