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【まとめ・感想】ファミリーヒストリー 松本明子

売薬受売営業

萬金丹

曽祖父の善六さんは薬草を売る行商人「萬金丹」旅人が食あたりや水あたりでお腹を壊した時、使われた薬。薬草を粉末にし、丸薬にした。曾祖母・こうさんは東京出身。(現在の千代田区麹町2丁目)
旧姓は木下。曾祖母が住んでいた場所は現在自動車整備工場。

曾祖母・木下家

近所は日本テレビ旧社屋。ブレイクしたのは「電波少年」もともとのきっかけはスタ誕。

デビュー前「ズームイン」に出た映像も流れ。

祖父・昌次さん

夫婦は行商生活だったので三重の親戚に預けられる。名古屋陸軍幼年学校を受験。超難関だったが見事合格した。やがて陸軍士官学校へ進学。大正7年、丸亀市に赴任。昭和12年、第六連隊の大隊長として日中戦争で上海へ。中国軍の猛攻により銃弾が左足を貫通し負傷。
長男(父)・昌昭さんは戦地へ手紙を。当時3歳。昭和17年11月、昌次さんガタルガナル島へ。逃れるために防空壕に身を隠す。部下のために座る場所をあけたがあとから入ってきた部下に砲弾が命中した。

どういうわけだか、一人の兵隊が、私と松本副官の間へ降りて来たんだな、すると兵隊の胸がこの位なくなっちゃったんだ。

終戦後、高級将校として責任を問われる。数ヵ月後無事帰宅。公職追放となる。55歳。元陸軍大佐という肩書きが災いし、職が見つからずようやく「おふく足袋」で働くことに。足袋のサンプルを入れた自転車に乗り、取引先に頭を下げる。
将校は8人いたが残ったのは昌次さんだけ。

昌次さんは昭和49年、77歳で死去。

昌昭さん

立命館大学を卒業後、昌次さんのすすめで昭和25年、香川県庁へ。

昌次さんが送った自作の漢文の意味

 老いた父は言葉もなく ただ涙を流して喜んでいる
 思い通りにならない世の中だが 
 全て受け入れて人生を歩みなさい

勤続15年、父に相談せずに県庁をやめる。大きなプロジェクトを抱える建設会社へ転職。昌次さんは木刀を持ち出し激怒。口論から取っ組み合いに。

厳しい父についていけなかった。

新しい仕事は順調。明子誕生後、念願のマイホーム。昌次さんを呼び寄せる。

昌昭さんは平成6年、立命館大学の卒業式ではなむけの言葉のあとに
「かく言う私の娘は、立命とは直接ご縁があるわけではございませんが、松本明子と申すナベプロのタレントでございまして、ブラウン管を賑わしております」と続けた。(平成6年)
平成15年、74歳で死去。

千恵子さん(松本明子の母)

母(祖母)・たまさんは琴平町金刀比羅宮で芸者。8人兄弟の長女。昭和28年、昌昭さんと結婚。実家の細木原家に身を寄せる。

ファミリーヒストリー収録日(3月25日)息子の15歳の誕生日でもあり、そして松本明子が高松から上京する日。

じいちゃんの壮絶な半生を振り返る内容なのにいざ「松本明子」でググると非常に黒歴史な発言も出てくるし・・ただホント歌上手い。

※2022年追記。実家じまいほんとに大変だった。

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