記憶の中の羽仁未央
父である羽仁進がまだご存名とは。
一番好きな監督作品
リアルタイムではなく、大人になって日本映画専門チャンネルで見た。
曾祖母は羽仁もと子。
記憶の中の羽仁未央はいつもひねくれていた。小学生の頃、母が購読していた雑誌を盗み読みしたら当時12歳だった彼女の「スタアへのラブレター」なる文章が載っていた。どの映画俳優に対して書いたものか忘れてしまったが
「あなたに、トチ狂っておりまする」ってフレーズがなんだかこましゃくれてて、子供心にも引っかかった。
おそらくはクラスに馴染めない少女だったのだろう。
自分が雑誌を読んだ76年~77年、教室の話題はピンクレディーとスーパーカーと東村山音頭。嫌いじゃなかったかもしれないがどこか「あんた達ってガキね」的視線を持っていそうなタイプ。(あくまでも想像ね)
うちの親は彼女のこと「ませガキ」って嫌ってたし彼女の文体を真似して作文を書いたら親と同世代の教師に「馴れ馴れしいから書き直せ」と叱られた。
大人には嫌われる子供だった。
羨ましかったのは12歳で文章を書き、お金をもらっている事実。もっと驚いたのはそのプロフィール。
「小4から学校へ行っていない」
行って当たり前なのに、行かなくていい選択肢があるなんて。小4の自分には不思議で不思議でたまらなかった。彼女が「行きたくない」と言ったのか。親が「行かなくて良い」と決めたのか。どちらが先なんだろう。親子の思惑が合致するなんて、そうそうあることじゃない。時間割に縛られず、自分の好きなことがやれている。
Mio (Mio Hani) 2/8 [ITA]
雑誌記事を読んで以来なんか惹かれてしまった。「未央のびっくり箱」を図書館で探して読んだ。大人になってもう一度読もうと思って調べたらとんでもない値段になってた。みな保存状態が良いのだろう。
死亡記事は、5行程度の短いもの。ウィキペディアには「ホームスクーラーの先駆け的存在」50歳で肝不全。飲みすぎたのかな。父より先に死ぬとは。自由って孤独。
追記
2014.12.17 徹子の部屋追悼特集でちょこっと出てた。10代の頃かな。
いや、私性格がすごく男の子っぽい上に映画撮ってますと男の子が多いでしょ?どんどんひどくなって、こういうところだとちゃんと「わたし」って言えますけどね。友達とだと「俺さ~!」って言っちゃったりするからせめて髪ぐらい長くないともうこれはどうしようもなくなってしまう・・
父親に似て早口。緊張してたのかも。