中 家
本名・大出弓紀子
埼玉県所沢市三ヶ島には中姓が多い。家紋は丸に違い鷹の羽。
先祖は中筑後守資信という殿様。武蔵の国古屋(現・埼玉県川越市)城主。北条氏政のもとで戦に赴く。
小旗奉行(敵味方に分かれた旗を管理する役目)
曾祖父・駒吉は東京都中央区八丁堀に移り住む。三嶋屋(米穀店)を営む
五寸釘の寅(西川寅吉)とは
明治末期に突然、五寸釘の寅という泥棒に入られ米穀店がつぶれる。
五寸釘を踏みつけたまま、10キロも逃げたことからその名がついた。
彼の脚力は1日に道もない山や野を40里(160km)も颯のように駆け抜ける
盗んだ金はばくちに湯水のように遣う一方、貧しい開拓農家や稼ぎ人の家へ闇夜に紛れて投げ込んでいく(「網走刑務所」山谷一郎著)
小池新さんによれば寅吉ではないとのこと。窮地を脱するための噓では←明治34年~大正13年まで投獄されていたため。
真相は、駒吉が小豆相場で大失敗、借金をしたため。失意のまま明治42年、49歳で死去
中家は中央区月島へ。
祖父・福太郎は明治36年生まれ。
ご当地ソング「湯西川」のルーツ
蓮實(はすみ)家
一番古い戸籍の住所は、現在の栃木県塩谷町(風見山田村)
大庄屋だった。先祖代々、帯刀と苗字を許された家。
五代前・所左ェ門は鬼怒川で、木材を組んでいかだで江戸へ流していたが(保証人でお金をとられてしまい、財産が無くなってしまった。
湯西川 水森かおり
高祖父・祖全は出家し、洞源寺(茨城県桜川市)の僧侶に。
曾祖父の聖林も浄光院(栃木県小山市)僧侶になるも、38歳で死去。妻ミサヲと5人の子どもが遺される。
大出家
昭和8年、子どものいない兄夫婦から養子の相談があり、四女・晃子(てるこ)が家を出る。翌年、福太郎と縁談があり、ふたりは大出姓を名乗る。明治通り沿いに町工場・大出商店を開くが、空襲に遭う
昭和11年、父・勝也誕生。歌手になりたいという夢を持っていた。
昭和13年、母・千代子誕生。