石川家
内田家
曾祖母・タモ
壽作は日露戦争、中国で戦死。弟の市平と暮らす。8年後、市平は兄弟の末喜とブラジルへ。タモは農業。
祖母・ユキ
曾祖父・壽作。曾祖母・タモの間に生まれる。昭和7年、ユキは芳太郎と結婚。夫が無職になり、海苔の行商で支える
石川家は切符販売もしていた。
ヒカルド・マサハル・ウチダ
48歳(2023年現在)末喜の孫。祖母はミネコ。
「当時は、ブラジルに行けば豊かに暮らせるというふれこみを信じて、多くの日本人がやってきたのです」多くの移民は農園で過酷な労働をさせられた。やがて自分の農園を持つまでになった。
ヒカルドさんは4人兄弟。かつて日本の工場で働いていた。
𠮷本家
母・様子
砂原村(現・熊本市南区砂原町)
趣味は水墨画。20歳の時、智と出会う。友人の親が営む旅館の一間を借りて同棲。結婚後は保育士に。
曾祖父・初次は、がまだしもん←方言で「働き者」シット*1と米を作っていた。
*1:畳表の材料となる植物。しちとうい。イ草よりも長持ち