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ファミリーヒストリー 石川さゆり ブラジル・マリンガ市の親戚、ヒカルド・マサハル・ウチダ

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石川家

祖父・芳太郎

熊本県飽田郡小島村(現・熊本市西区小島)曾祖父・三次郎の代まで暮らす。農家。
芳太郎は熊本市電(現・熊本市交通局)で働く。昭和3年結婚。昭和20年、熊本大空襲で道路が寸断。市電は一時営業ができなくなる。「これからはガス会社が儲かる」と友人に誘われ転職。45歳の時、人員整理になり無職に。

父・智

昭和7年生まれ。絹代(さゆり)には、かみなりおやじ。弱きを助け強きにはむかう人だったそう。昭和28年、地元の祭りで出会った吉本様子にひとめぼれ、結婚。同年、白川大水害。死者・行方不明合わせて500人。石川家も水没。

昭和35年熊本市電に車掌見習いとして就職。昭和43年、自家用車の急増で市電利用者が減り、日産自動車横浜工場に転職。横浜市の離職者用の団地に移り住む。

内田家

曾祖母・タモ

壽作は日露戦争、中国で戦死。弟の市平と暮らす。8年後、市平は兄弟の末喜とブラジルへ。タモは農業。

祖母・ユキ

曾祖父・壽作。曾祖母・タモの間に生まれる。昭和7年、ユキは芳太郎と結婚。夫が無職になり、海苔の行商で支える
石川家は切符販売もしていた。

ヒカルド・マサハル・ウチダ

48歳(2023年現在)末喜の孫。祖母はミネコ。
「当時は、ブラジルに行けば豊かに暮らせるというふれこみを信じて、多くの日本人がやってきたのです」多くの移民は農園で過酷な労働をさせられた。やがて自分の農園を持つまでになった。
ヒカルドさんは4人兄弟。かつて日本の工場で働いていた。

𠮷本家

母・様子

砂原村(現・熊本市南区砂原町
趣味は水墨画。20歳の時、智と出会う。友人の親が営む旅館の一間を借りて同棲。結婚後は保育士に。

曾祖父・初次は、がまだしもん←方言で「働き者」シット*1と米を作っていた。

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*1:畳表の材料となる植物。しちとうい。イ草よりも長持ち