町田家
勘右衛門
一番古いご先祖様。文久元年死去。広野には十軒の民家があり、すべて町田姓。江戸中期まで暮らす。神社の再建に力を尽くす。源平合戦頃の落人。
粟津の戦い(1184年) 源頼朝が派遣した東国諸将と、木曽義仲が戦った源氏同士の争い。楯親忠(たて・ちかただ=義仲四天王)と町田家は、元々同じ一族であったが、争いに敗れ滅ぶ。氏を変え、町田姓を名乗る。四天王は他に今井兼平、根井行親、樋口兼光。
源氏と闘って敗れた落人なので平家と勘違いされた説。
祖父・七郎
曾祖父・久吉は横須賀海軍施設部、土木建築部。防御活動に従事する航空部隊の基地を作っていたと考えられる。復員後、マラリアのため40歳で亡くなる。3年後・母も亡くなる。
七郎は中学卒業後出稼ぎへ。東京で修業を積み、23歳で帰郷。光江と結婚。地元の建設会社に就職。長女は日立ソフトボール部のエース
50代でがんを患うが、孫の啓太には厳しかった
父・晃一
長男。宇都宮大学に進学。
齋藤家
齋
五代前。1826年生まれ。東江神社宮司。地域文化のリーダー。
高祖父・久米治
18歳で小学校の、のちに中学校の教員免許取得。徳島県尋常師範学校で教壇に立つ。同時期、愛媛県では夏目漱石(本名・金之助)が教員。校長などを歴任した。
先帝(大正天皇)の御前教授。天皇の前で授業をしていた
曾祖父・珍彦(うつひこ)
語学堪能。ヴァキュームオイル(エクソンモービル)就職するも、関東大震災に遭う。昭和7年退職。栃木県那須烏山市に戻り、役場に就職。6人の子供と暮らす
母・敦子
1962年生まれ。宇都宮大学バードウォッチング部で晃一と知り合う
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