川島家
紐本家
弘
明:おばあちゃんの方から僕が吉本に入る話をしたときに「うちの家系にも人前で仕事をする人がいた」声で何かお仕事されてた人がいたのなら運命といいますか
弘は明治26年生まれ。友禅染の絵付師であり、梅若流の能楽を納め、美声の持ち主
祖母・静香:(明は)確かにいい声してはりますね※実母が腸チフスのため、生後間もなく斎藤家に養子に出される
祖父・良三
大正9年生まれ。母・小とよの死後、良三とふるさとの滋賀に戻る。藤本呉服店で丁稚奉公(※静香は隣の衣料雑貨店で働いていた)
ようオナラしとったから「ヘコちゃん」言われとったんですよ
明:いつも昼寝しとったんですよ。ずっと屁こいてたw
結婚後は宇治市の製茶会社(小山製茶工場)専属ドライバー。仕事は順調だったが、昭和32年4月20日、静香を乗せたタクシーに飲酒運転の車が衝突。一命はとりとめたが手術を何度も繰り返す重傷。良三は看病のため会社を辞める。
出入りしていた行商の人から勧められ、漬物屋を始めた。
鎧塚俊彦:白長神社に行くと、おっちゃんがいて、ようしてもらいました
父・喜一(よしかず)中学卒業後、塗装工に。母・悦子、2021年11月、74歳で死去。
ラヴィットの映像借りて流してた。お母さん亡くなった日もラヴィットやってたんやな
傷つけるのも勇気や元気を与えるのも言葉。優しい時間が流れほっとするような時間を作ってください。おねがいします。
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