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SWITCHインタビュー達人達 アンミカXマンボウやしろ 原点回帰はラジオ

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マンボウやしろ

お笑い芸人を辞めた理由

アンミカ:みんな弱みはあるんですけど、包み込むような寄り添う言葉。湧き出てくる源を知りたい、感じたい。
やしろ: まだ底が見えてない、全然見てない。どこを見て生きてるんだろう。僕にとって占い師さんみたいな感じ。占い師さんって占う前に自分の話ちょっとするじゃないですか。それと同じ感覚。

アンミカ:車乗ったら絶対マンボウさんのラジオ聴くから。毎日会ってる親戚のお兄さんみたいな感じ。独特の親近感。元々、幼少期から芸人さんになりたかったんですか?
やしろ :家庭はお寿司屋さんで人の出入りが多かったんで。犬もいたりとか、明るいところで育ちました。お笑いやりたかったのは高校生。ちょけるタイプでした。ただほんとに当時芸人さんたちをテレビで見てて、楽してちやほやされて、お金もらえてモテて、こんな楽な仕事はないと思いました(笑)
アンミカ:子供が見たらね
やしろ:はい、はい。これが一番いいと思いました。なんで飛び込みましたね(笑)相方が実家継ぐってんで辞めて、ピン芸人になったんですけど、ピンのネタが全然うまくやれないんですよ。ただでさえコンビで練習しなかったのが、一人だと自分で管理して練習しなきゃいけないじゃないですか。ほんっとにしないですよ(笑)
アンミカ:せえへんかったらウケへんしねぇ
やしろ  なんとなくノリでやるだけになっちゃう。グダグダな。あと現場に行っても、今まで仲いい時も悪い時も二人じゃないですか。一人で現場に行くとさみしいんですよ
アンミカ:(笑)そっち?
やしろ 現場で失礼な人、たまに会わないですか(笑)
アンミカ:いなくはない(笑)
やしろ:あれが、たった一人だと苦しさしかつのらないんですよ(笑)これが相方が居ると「あいつ腹立つよな」面白いことも辛いこともずっと喋ってるわけじゃないですけど、共有できるってすごくおっきいなって、一人になって気づいて。で、ピン芸人として向いてないな、楽しくないなって。で、デビューからやらせてもらってた脚本とラジオ番組は続けさせてもらってたんで、終わりと言われるまでは続けよう。芸人辞めるまでは続けようと

原点「SCHOOL OF ROCK!」

やしろ:全くラジオやる予定なかったのを。ラジオ聴いてもなかったので、学生時代。それで全国の10代に向けてしゃべるってなって。10代に「お前嘘つくなよ!」って言う。「好きな人に好きな人がいるんだけど、どうしたらいいですか?」「いや、付き合いたいから好きになったんじゃなくて、好きになったから付き合いたいんだろ?だったら、付き合えなくてもあきらめる必要ないじゃないか」毎晩言ってたら、自分がそれ通りに生活していないと毎晩嘘つくことになるんで、追い詰められてって。芸人の時は騙し合いなんですよ。もう蹴落とし合いですし。ちゃんと権力ある方って言ったら変ですけど、局の人との人間関係、付き合いも必要。多少のずるさも必要なんですけど、10代の目は許さない。

アンミカ:普通それはそれ、これはこれと割り切れるのが多かったりすると思うんですけど、それは自分は許せなかった?
やしろ  許せないですね。それだけピュアに慕ってくれるし言葉を信じてくれますし。放送ではあまり乗せられなかったんですけど、飛び降りてしまう子がいたり。リストカットしたり。スタッフとも共有して。スタッフも人の人生を背負う覚悟で挑んでいたチーム。それを全部受けて喋る立場の自分がちゃんとしなきゃなって。言葉が出てこなくなっちゃうんですよ、あんまりにもずるいことをしていて10代にずるいことするなよっていうのは。好きな女の子がいて、その子を落とす手段て、大人になるといろんなパターンが思いつくじゃないですか。お金も使える、どこで手に入れたのか少しだけマインドコントロールしながら(笑)こういうLINEを送れば食いついてくれるとか。まずはその子の友達に気に入られようとか。

アンミカ:工夫じゃないですか。その年なりの培ってきた知性、自分の知恵だから、私はずるいとは思わない。恋愛全部真っ正面から行くんですか
やしろ  行きます。恋愛もそうですし仕事もそう。自分の中に十分悪さもあるから、逆に言うと悪さに対して怖いのかも。欲が深いほうがいい聖職者になれるって言葉はすごい理解できる。ピュアな、10代に言っても大丈夫な言葉から、ここまでいっちゃうと法律には引っかからないけど、どうなのモラルとかルールとして、っていうカードを7~8枚出して、いちばんこっち(ピュアな方)を選ぶ

アンミカ:自分の中に闇があるから、光のありがたみも分かって。すごい弱い人の心に寄り添うし、言葉遣いも絶妙で。マンボウさんから見てリスナーってどんな存在なんですか
やしろ :リスナーさんで僕が作られてる感じ。僕という本体は基本無いと思ってて。ラジオに関しては。例えばコロナ禍。何十時間もニュース見て、ど真ん中にあるのは医療。この先何度も繰り返される中、ベースとなる医療に人の支援とお金を入れなきゃいけない「医療って大事ですね」と言うと「医療ばっかり言うな、スーパーで働いてる私たちだって働きたくないけど人がいっぱい来てる」それから保育士は大事にされてないけど感染リスク高くて働きたくないのに大変だ、と。どこかを言えばどこかがさみしい思いをする。で、コロナがあることを前提に喋ると今度は「コロナなんてない!」ってチームがおこるんです。何が真実かはどうでもよくて、ちょっと不謹慎な言い方ですけど聴いてる人たちが今どういう状況で何が不安で、一人ずつパターンを認識して、この人たちがひとつも違和感なく、嫌な放送じゃない言葉選びはなんだろう。
で「コロナがあったとして」聴いてる人は違和感あるかもしれないけど、コロナがない方もここだったら信用しようと。基本的に出てくる言葉は聴いてる人の反応をイメージして、書き込んで出て行くんで。僕はないんですよ。世の中と聴いている人の間の拡声器。
夕方とかお昼のラジオって、職場で聴きたくないのに聞いてる人たちがいっぱいいるんですよ。車ん中とか。ずっとTOKYO FMの他の番組好きで合わせてる人が、流れで聞いてくれてるんですよ。なんで、僕の声も喋りも聞きたくない人が一定数当たり前にいて。聴いてる人を減らさないって、喋り方を修正するのに3年ぐらいかかった。1日3人ずつ増やす、客を、リスナーさんを減らさないのがしんどすぎて。ラジオやってる僕がどこまで本当かってのは、今となっては。ちょっとでもいい空気、例えば世の中に1万個の粒があって、ひとつぶでもいい空気に変えられる仕事があるんだな、そういうマインドで放送に臨まなきゃいけないと思うんですよ。

アンミカ

美人になれる魔法

アンミカ:必ず相手に胸を向けるんですよ。
やしろ そうですね、顔だけだと偉そうですね
アンミカ:ふたつめ、笑顔で口角を上げる。私は切ったリハビリになったんですけど。口角、つねに箸を挟んだり
やしろ 絵に描いたみたいな
アンミカ:当時整形の繋げる手術がなかったんで。いつも唇をはさんで口角を上げる練習をして今に至るっていう。笑顔でいたら相手が笑顔になって、それを目で見る。こちらが笑顔でいたら相手も笑顔になって、笑顔の連鎖になる。相手の目を見るのは大変だったんですが。きょうだい5人いたんで、学校から帰って日本語でバーっとお母さんに喋りかけると、日本語が完璧じゃないんで大変じゃないですか。からしゃべるひとは、5W1H、いつどこで誰が何をした、どう感じたかをしゃべる。聞く人は相づち、共感、質問 ロールプレーをみんなでする。
やしろ 会話の英才教育
アンミカ:そうです。通販とか喋りの原点はここで養われたのかな。それが自信になって、なんかこの人心地いいな、聞き上手。テレビでは速射砲(笑)プライベートでは聞くの(笑)
やしろ ちょっとまだ信じれない(笑)
アンミカ 母親のおかげで、ちょっとずつポジティブな自分になってったんですね※15歳の時に母親は亡くなった。

つらい時の過ごし方

アンミカ もう不幸がダダダって襲ってきた時に、教会の人にお世話になって。中学高校はずっと新聞配達。学費とかも払ったり大変だし、中学ぐらいから生活に追われて。神父さまに泣き言を言って「なんでうちがこんなんばっかり。神さまに毎日お祈りしてるのに不幸があるんだろう」
神父さまが「若い時の苦労は神様からのプレゼントだよ。なぜかっていうと、大きくなった時に、人より先に苦労したら、君はそれを受け入れて乗り越えた時に知恵が付いてるし、工夫ができるようになってるし。幸せになるための武器をひとつ持ってるから、まず同じような苦労をした人に寄り添ってあげられる。神様が幸せになるために出してるハードルを、乗り越えようとせずに無視してみないようにしてる。逃げてると、なんぼでも幸せのために出てくるから、向き合って受け入れて、器を大きくして広げていける」と教えてくれて。

やしろ なかなかそう考えるのは難しいと思いますけど...僕たち基本的に生活してると、やっぱりどうしても辛いこと悲しいことは定期的にやってきてるし、全員に用意されてるじゃないですか。で、仕事もプライベートも調子のいい時期の過ごし方はそれぞれ自由でいいと思うんですけど、つらい時の過ごし方が、もしかしたら僕たちの人生のメインというか。それをどう乗り切るか、どういう考え方に変わるきっかけにするか、そういうことを教えてくれる大人が近くにいた。

アンミカ そうです。なんてラッキーだったんだ、私たちが幸せになるために用意してくれた人間関係、環境だったんで、それはすごい感謝してます。

※唐突で申し訳ないがユーミンの「ダンデライオン」思い出した。←歌詞に「傷ついた日々は彼に出会うための そうよ運命が用意してくれた大切なレッスン」とある

やしろ 一流モデルになるだけだと、もしかしたら踏み外す可能性もあるじゃないですか
アンミカ そうですね。父が言ってたのは自己PRの時に「裁縫が好きで、映画鑑賞です」というよりは、ちゃんと「いま社会がこういう方向で、自分はここでお役に立ちたくて、モデルのお仕事もしながらこういう勉強もしていただいてます」と言える人のほうが、自分の個性や知性がにじみ出てるんじゃないか。結果自分も社会の役に立つ、と。

やしろ すごいですね。それがあって今のアンミカさんがいる
アンミカ そうですね...うるっときちゃった。両親の話をするとちょっとね...ホント感謝でいっぱいなんですよ。多様性の時代になって、いっときは器用貧乏すぎるなんて言われた時期もあったんですけど、いくつもの顔を持つお仕事をさせてもらってるのは両親の教育のおかげ。早くに亡くなったけれども、私の人生の中にいっぱい両親への感謝があって、私が前向きに生きるための環境とか残してくれたし。すべての源は感謝。喜びの涙。

やしろ 今の話の流れで変なこと話したくないんですけど、自分の親が亡くなって会いたいなと思った時に「ちょっと待て、僕、体の半分親で出来ている」会うとかじゃなくて、半分それだって思って。アンミカさんが目が赤くなってきて、感謝のうれし涙なんですけど。お父さんとお母さんでできてるアンミカさんが泣いてるのが、娘の成長を見てるお父さんとお母さんも泣いて、3人で泣いてるような感じがして、すごい幸せな

アンミカ そんなに思ってくれて、うれしい。ホントだ。これから両親に会いたいと思ったらそう思えばいいんですね。パリでオーディション受けた時にパスポート韓国だったんで「あれ?君コリアンモデルじゃないか」「いや、日本で生まれて日本で育ってるんです」「ノーノーノー、モデルの仕事は特に親からもらった皮膚と骨格でお仕事してるんでしょ?あなたはコリアンモデルと名乗らないと。親からもらった血だよ、誇りに思いなさい」すごいアイデンティティに衝撃を受けて。それがきっかけで、日本の通名でやってたんですけど「アン」に変えて、そっから「アンミカ」になったんです