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あさイチ プレミアムトーク ルポライター杉山春「ネグレクト」児童虐待と報道 徳丸ゆき子

家族との葛藤

実母との葛藤、息子の不登校

ルポライターを続けてきた原点。
友人:自分が生きづらさを持っているから、上手く生きられない人たちのことが理解できるんじゃないか。彼女はいつも、こんなに悩んでいるんだというぐらいいつも悩んでいた。それが(ルポライターの仕事に)いきているのではないか。

大吉 あさイチのオファー、かなり悩まれたとか
杉山 なんであたしが?わたしは、そんな者ではありません。華丸大吉さんにお目にかかれるなんて。生涯お目にかかれるなんて思ったことありません
大吉 だとすれば将来が心配ですよ(笑)まだまだいいことがたくさんある

息子さんは学校の先生に

不登校だった時期は)小学校2年から中学校2年まで。義務教育9年のうち7年は、ケア的にかなり長かった。ネグレクトを書いた直後だったので、閉じこもってはいけないと思った。とにかく家族をオープンにして外へ外へという感じ。取材で知り合った方に、相談は意外と早い時期にして、社会にある支援はあなた全部使っていいのよ」って言ってくださって。虐待予防センターの坂井先生(著書「ネグレクト」監修)に相談に行って。

※坂井先生=坂井聖二さん。小児科医。生活ほっとモーニング(95年)にも出演。

坂井先生に出会わなかったら、息子をもっと壊してたんだろう。親と子のことを聞き取る力のある先生。先生は、息子が6年生の3月に亡くなられたんですけど、あんなに自分の言葉を聞き取ってくれる人はいなかった、と大泣きをしました。たった2~3回しか入ってないんですけどね。

学校と先生がよく話してくださった。最初「親があんなだから子供がああいう目線で見られてるな」って感じてたんですけども先生が入ってくださって「息子さんが不登校なのは、繊細でものを感じる力があることと、そこに馴染めないということは表裏一体」話してくださって。算数の得意な先生だったんです。算数が得意な子だったんで、とても喜んでくださって。それから悪い親だとか、ダメな子だとか、そういう視点じゃなくて。活躍する場が学校の中でどんどん使ってくださって。そういう先生との出会いは、不登校でもすごく恵まれてたと思う。特に数学の先生にはたくさん愛されたようです。親も知らないところで。教えるのは好きとか言ってました。

社会と家族の変化

もともと距離感が悪くない家族は、意外と一緒にいられて楽だとか、お父さんお母さんとこういう話できたという気持ちがあるなぁと。
親御さんに自分の気持ちが話せないタイプの方々に、かなり苦しい、心配って思う話を聞いた。
コロナって多分、社会の悪い部分をものすごく悪化させると。これからだと思います。今までの日本社会って、経済が悪化した時に、社会がものすごく変わってきたと思っているので。
これからが本当に大変になるのかならないのかは、むしろ社会の側の責任かなと。

徳丸ゆき子

大阪子どもの貧困アクショングループ代表

緊急事態宣言が出るまではギリギリ会ったり、お泊まり会で預かって。子供たちも夜中でもひとりきりだったりするので。
(緊急事態宣言が)出てからは、自分たちが感染源になってはいけないので、ホットミールプロジェクトに切り替えた。
訪問していくと、日に日に子供たちの顔が暗くなっていく。親からいろんことで怒られて嫌だったとか、泣きながら家から飛び出してきたり。保護者も子供が小さいと仕事に出て行けなくて、ほっておけないから仕事がままならないのでイライラして子供に当たってしまうとか。
私たちにできることがない中で「ご飯を持っていくだけてごめんね」なんて言いながらやっていました。
元々この家は持たないなというお宅に、何も第三者の介入がなくなってしまって、子供とか若者から「家にいることはできない」連絡があって、児相に連絡して一時保護をしてもらったり、シェルターに入ってもらった若者もいました。

杉山 徳丸さんの活動の力のあるところは、子供に直接手が入ってる。シングルマザーが大変っていうと、お母さん支援はまだしやすいし。出来るお母さんは多分健康。ある程度力のある方。実際に私が取材してきた、子供が亡くなる事件は、メンタルヘルスがすごく悪化してる状態。自分をちゃんと理解して、なぜ起きてるか状況が分かって、社会にモノを言うことができない状態になった時に子供が亡くなっていくわけだから。だから外部からきちんと介入しなければいけないんですけど、それにものすごく拒絶感があるし、病めば病むほど自分は健康でありたいと思うので、支援を受け付けられなくなる。そこが日本全国すごく苦労してることだと思う。親の側が自分のことを理解できないし、客観的な支援があることも、自分とつないで考えることができない

ネグレクト

2000年愛知の事件

この女の子(当時3歳)より1歳上の子を育てていて。ものすごく(事件の)お母さんにシンパシーを持ちながら取材をしていて、大変だなと思って同化して書いていたので。
編集者が「それは男の人が読まないからダメだ」ものすごいかかって本にしたんですけど、おかげでずっと裁判を見ることができた。
最終的にこのお母さんはメンタルが健康ではないことをきちんと気づけて、やっと本になった。
やっぱり最初は、ひどい親だと思っていました。親っていうと自分しか想像できない。自分とか周囲の人。両親のことを調べていくと、80年代であるにも関わらずお母さんは飢えた体験をしていた。お父さんに力がなかったり、お母さんが家出をしていたり。子供の面倒を見たり。日本がバブルで貧困が終わった時期に飢えを体験していた。周囲との落差ですよね。悟られないようにしていた。自分を表現できなくなっていた。すごく学びましたね。
虐待は、生育歴の問題とか、支援に入りにくいとかいうことを学んで。鬼父・鬼母という報道ではダメだというのはこの当時から。
お父さんは1歳の子供を激しく揺さぶって、急性硬膜下血腫で37日間ぐらい入院するんですけど、たった一人で子供のケアをして病院にも連れてって。

ネグレクト(小学館文庫)

ネグレクト(小学館文庫)

虐待

2010年大阪の事件

お母さんは「私はこんなに素敵な生活をしてるの」っていうのをSNSにあげて、そこにお友達がイイネを付ける。2010年ってまだフェイスブックとかツイッターに書き込みをすることをあまりしてない時期。報道も「お母さんこんなに楽しんでひどい親だ」すごかったですね。バッシング。
その傍らで子供が50日間なんのケアもせずに亡くなってくってことは、むしろお母さんすごく困っていたことは、取材をしながらわかってて。
周囲との関係が絶たれていく中で、それでも彼女は生き延びようとした
最初の本が「満州女塾」中国に残留された女性たちの話。彼女から見た世界は戦場のようだな、そこを生き延びるためのSNSだなと思ったりして。すごく考えさせられました。あと10年間の日本社会の変化。離婚率が上がったり家庭が崩壊する中で起きている。同じような家庭で育っても形がこれだけ変わる
大阪のお母さんは布オムツで育てるとかお姑さんと仲良くするとか頑張ってる人でした。

頑張る時期にはどちらも「19歳でそれができるのか」という人たちでした。過剰に頑張る。それが良くない

満州女塾

満州女塾

生活保護は恥ずかしいことじゃない、権利ですってちゃんと社会が言えばもうちょっと変わるかな。完全な孤立をしてるところに公的なものが入っていくと、こうやって使えばいいんだって学べる。ガラっと変わると思います。

自分が子どもを育てるのにこれでいいのかと思って色んな人にインタビューすると、日頃外で優しい人が家で子供を怒鳴って叩いちゃうとか。見せてる顔と子供との落差の話を雑誌に書いたら、読んだNHKの方が「名古屋の事件を一緒にやりませんか」と言ってくださった。仕事として始めた。

まず閉じこもらない、SOSを出す、人とつながる。どんなに社会が怖くてもやっぱり人とつながる努力をすることが大事。
ある一線を超えちゃうと、社会はその人を叩くわけですよね「こんなことをする人は人じゃない」と。
でも、超える前に、どうやって社会にその人を戻していくかがものすごく大事なことじゃないかなと思います。