Good-bye My Loneliness
寺尾広(音楽プロデューサー)
自分の言葉で歌うため、自分で作詞することを約束。自分の意志でやっていく覚悟。
モチーフにしたのは「涙くんさよなら」(坂本九/1965年)
サビの頭は中学生でも分かるような簡単な言葉でやっていこう。Good-bye My Loneliness♪ ここで形になったんですね。
冒頭2行、葛藤って言うんですか。この人はすごい歌詞を書いていくんだろうなと。自分の気持ちを言えなくて、好きだとかどうしようというのを見透かされてるんじゃないかと。
岩井俊二
MVの監督。「不思議ね..」も
いろいろ聞かれた思い出があって、撮影の時に発泡スチロールの白い板があるんですけど、僕らよく使う、カポックと呼ばれているもの。坂井さんから聞かれたので教えたんですよ。次の撮影の時に「監督、私を騙しましたね」何の話だろと思ったら、さかなやさんにいって、発泡スチロールの箱があって「これ カポックって言うんだよ」言ったらしいんだよね。みんな知らなかったって。カポックっていう単語をよく覚えて持って帰って魚屋さんに行ったなと思って。
編集しているとき遊びに来てくれて、激励に来てくれて。その時に「この前箱根の森美術館に行ったんです。ピカソを見てきました。これからアーティストを目指すので、ピカソぐらい見ておいたほうがいい」
CDジャケット撮影は派手目の私服できたが、レコーディングの雰囲気と衣装があってなかったので別の服(撮影の鈴木謙一さんが着てた皮のジャケット)
和気あいあいとした感じはまるで「工房」のようでしたね。夜中から朝までは「当たり前」という会社のみなさんの熱気に圧倒され、決して妥協を許さぬ精神を、しかと坂井泉水は受け継ぎました(笑) WEZARD 会報
負けないで
寺尾:1993年1月27日の発売時期の事を考えると、受験生だったり、社会人になっていく人たちを応援するような意味合いになったらいいね、と。一種の応援歌。がんばれよ、でも、愛してる、でもいいんですけど、あえて負けないでと歌うことで、非常に相手の夢に向かう気持ちを尊重している。くじけることがあるかもしれないけど負けないで、という絶妙な言葉の選び方。言葉をチョイスしたり、歌った自分の言葉がどういうふうになっているか一個一個結構気にしていく人だった。森(歌詞全体)もみてるけど木(言葉)もちゃんと見ている。非常に粘り強かったのかも
島田勝弘(レコーディングエンジニア)歌うときはカーテン全部閉めちゃうんで。坂井さんは歌入れの時はそこの世界に入っちゃいます。
レコーディング中に詞を書き直していた
大黒摩季
歌い方と詞の魅力
泉水ちゃんはブレスを大きく入れないんです。ズボッていれてくれると、次はくタイミングが取れるんですけど、結構上品に吸うんですよね。そうすると予期せぬタイミングで歌が始まる。彼女の一挙手一頭足というあk、ブレスの入口から合わせていかないと。だから家でちょっと変態的なぐらい聞いて、全部小さいところまでメモって。
歌い方で情景が浮かぶんです。
詞の魅力は、とにかく特別にならないこと。メロディーがこういってるんだもん、って言いますね。もらった曲を、たぶんね、本当に耳が痛くなるぐらいまで何百回も聞いているって。そしたら摩季ちゃん、メロディーが言葉をくれるよ、って言うんです。自分の曲はくれないよ、って言ったら「数を聞いてないんだと思うよ。何回も音だけ聞いてごらん。言葉が聞こえてくる」聴こえてくるのが何箇所か出てきたのを、ストーリーで紡いでいく。
直筆メモより
名言、格言
自信は成功の源泉である
仕事をするときは上機嫌でやれ
ない時の辛抱、あるときの倹約
忍耐はすべての扉を開く
笑顔は人生の最も美しい花
悲しい現実を嘆くより 今何を出来るかを考える
芸能界に入って、タレントだったりグラビアだったり。全然後悔してないし、それも私だから否定はしていない。それがあったからその後の今の私がある
ZARD PV -Full Version- Medley | RaveDj
2006年、子宮頸がんを患う、入院中も書いた
長い人生にはどうしても避けられない道がある。そんなときは黙って歩くんだョ
ジャケットデザイナーの鈴木さんも癌の闘病経験があった。
着信があり「怖いんです」震えてましたね。こんな坂井さんの声は聞いたことはなかった....
亡くなる数日前も詞を書いていた。
2007年5月27日永眠。
※個人的なことだがその日は引越しが済んだばかり。ネット繋がってなかったんで夜のニュースで知った。「永遠」「Don’tyou see」「揺れる想い」が好きだな