波野家
時蔵(曽祖父)
嘉永二年(1849)生まれ。波野(はの)を名乗る。
父方の屋号が「丹波屋」母方が「平野屋」一文字ずつ取り「昔を忘れないように」と波野姓になった。
首振りという芝居が上手く人気に。23歳で上京。七代目河原崎権之助(のちの九代目市川團十郎)と共演。上方で派手な衣装が好まれていたため、地味なもの、しきたりに馴染めず、芝居小屋を転々とした。奴の役で舞台に立った際、小屋でボヤ騒ぎが起きた。自分で消火「ご安心なされまし、火事は奴めが消しとめまして御座ります」
セリフ上のアドリブだけではなく、機知に富んだ特のある役者。
58歳で三代目中村歌六を襲名。妻がいたが山本ろく(曾祖母)と親しくなる。妾(めかけ)。
大正8年、時蔵は70歳で喉頭癌のため死去。
聖司(祖父)
明治42年、ろくとの間に聖司(十七代目中村勘三郎)誕生。歌六の籍に入れる。中村米吉として大正5年、7歳で初舞台。
時蔵死去後、市川に引っ越す。東京の劇場に通う。ろくは資産家の援助を受け、割烹旅館「松桃園」を任されるが聖司を歌舞伎役者に育てるため習い事をさせ、多額の借金を重ねる。父を亡くしたため後ろ盾がなくなり、いい役を貰えない。
聖司は飴を売っていた身寄りのないおばあさんと知り合い、ろくとともに暮らすようになる。※勘九郎も近所のホームレスと親しくなったことがある
14歳で本家の兄(辰二郎=初代中村吉右衛門)と暮らす。23歳離れていたため、わが子のように可愛がられ、昭和4年、四代目中村もしほ襲名。
中村もしほ - Wikipedia
24歳、再び母と暮らすため東宝に移籍。現代劇などの役に挑戦。昭和14年、東宝の経営が悪化、吉右衛門の許しを得て再びもどる。六代目尾上菊五郎の長女、寺島久枝との縁談が持ち上がる。菊五郎も妾の子として育ち、父を早くに亡くしていた。