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【まとめ】ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ #4 踊る昭和歌謡の謎 ツイストの伝道師 小林旭

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マンボを起点とした大衆音楽史

マンボNO.5(1952)

風間俊介:珍プレーの時ボールが頭に当たった時かかる曲
※ダメだ脳内を宇野勝が占領する・・(BGMは違う)
中日ドラゴンズ 宇野勝 - 珍プレー総集編 - YouTube

正しいのはこちら

ペレスプラード(1989年、72歳没)楽団の初来日は1956年。目抜き通りをオープンカーで行進し、浅草国際劇場入り。

Pérez Prado Y Su Orquesta - Mambo No. 5 - YouTube

どうしても宇野勝が右往左往する。風間俊介のせいだ。1950年代映像のナレーションがひどすぎる。

バイキンがうごめくようなマンボ独特の踊りは、官能的なテンポで床を走り、若い人々を無我の境地に誘います。

激しい踊りに腹も減り 弁当持参という高校生は既に6時間を踊り続けて汗だく。

それでもマラカスが鳴り出すと、自然に手足が動き出して声を立て床を踏み鳴らすというマンボ。

股引(モモヒキ)のようなマンボスタイルが10代の魅力。またの名を「リキシャマンスタイル」と呼ぶ

若い男女が情熱のリズムを求めてダンスホールに集まります。

流行の最先端。

さいざんすマンボ(1953)

トニー谷「さいざんすマンボ」 - YouTube

お祭りマンボ(1952)

美空ひばり - お祭りマンボ LIVE - YouTube

お祭り忍者 - YouTube

マンボに対抗して「ジャジャンボ」も服部良一により笠置シヅ子歌唱で作られたがヒットには至らず※2024.2 よもや「ブギウギ」でヒロインになろうとは

大衆音楽とは楽しみのための音楽。聴く、観る、歌うに「踊る」を加えたオーディエンス参加型。楽しくないジャンルも結構ある。苦悩やいらだちのためにパンクやロックがあるのかもしれない。

ロックンロールからロカビリー、カリプソ

「ROCK AROUND THE CLOCK」日本語版は江利チエミだ。いまいちヒットせず。

カリプソブーム

約半年でブームは終息。
Harry Belafonte - Banana Boat Song (live) 1997 - YouTube

バナナ.ボート - YouTube

ドドンパの誕生

フィリピン発祥のラテンリズム、別名フィリピンマンボ。オフ・ビート・チャチャ。ラテン系のリズムが原型。タイヤカンボジアでも流行。

なかなか2拍目に足を出せない日本人のために、サルでも分かるタイミングにしようと、大阪で振り付けの講習会も開かれた。謎の国産リズムがドドンパ。

ドドンパといえば後年発表されたこの曲しか思いつかない。おじさんおじさんってどんなおじさんなんでしょう。ハゲてないかい。2作目は「おじさんルンバ」という掃除機のようなタイトルだが見事にコケる。現在引退し主婦。

東京娘(桜 たまこ) - YouTube

元祖は渡辺マリ。1961年。

東京ドドンパ娘(渡辺マリ) - YouTube

ナイトクラブ「アロー」

北野タダオ&アロージャズオーケストラ
ショーの司会は永六輔、青島幸男、前田武彦。専属歌手はアイジョージ、坂本スミ子。
「夜の国会議事堂」などの異名を持つまでになった。
トップページ-アロージャズオーケストラ ウェブサイト
「今夜もベラベラベンチャーロ」アイジョージと坂本スミ子
なんというタイトルなんでしょう。

ユーロビート

輪島「ユーロビート」という言葉はいま基本的に日本でしか使われてなくって、イタリアで日本人のために作った日本の音楽なんですね。ヨーロッパでのダンス音楽の流れがあって、イタリア風のディスコみたいなのが80年代にあるわけですよ。

男女七人夏物語の「CHA-CHA-CHA」実はイタリアのユーロディスコの曲なんですね。90年代に至るまで日本でそういう音楽の需要が残っていて、それにびっしり振り付けを合わせるパラパラみたいな、かなり独自のダンススタイルが出てきてますよね。逆にイタリアから日本に来て土着化した。今となってはアニメとパラパラが結びつきやすい。涼宮ハルヒだったりらき☆すただったり。日本文化として海外で演じられたりするんですよね。

ツイストの伝道師、小林旭

我を忘れて踊る。

小林旭:正直言って洋楽に全く興味がなかった。
昭和36年にアメリカ行った時も、コロンビアの担当ディレクターが「頼むからアメリカのヤング向けのレコードをありったけ買ってきてくれ」

ヤング向けったって英語も分かんねえちんぷんかんぷんなところで、自分も馴染んでない状態なのに。
たまたま行った先でツイストというのにぶつかる。うるせえな、なんかガチャガチャやって腰振って膝降って、バカみたいな何なんだこれはと。でもいざ飛び込んでやってみると面白いんだよね、これが。

「ツイストってのは立ってやるんじゃない、こうやるんだ」

「アラ小林さん踊れるんだ」

「踊れるんだじゃなくて俺が持ってきたんだ」

ヤンマー 赤い トラクター CM 小林旭 - YouTube
    
「赤いトラクター」てのもあったね。

ヤンマー 赤い トラクター CM 小林旭 - YouTube

はっ。どんぐりころころまで歌っているとは。いかんいかん昭和歌謡からそれていく。
どんぐりころころ 小林 旭 (歌詞字幕入り) - YouTube

時代は踊りを必要としなくなった

橋幸夫といえばぼんちおさむのモノマネ。

ビートルズの来日(1966)~祝祭性、シリアス化。

ここで一旦ニューリズム、踊りの終焉。
先週のお題「行ってみたい時代」今思いついた。
ビートルズ来日の頃、自分が生まれる前がいいな。1960年代後半。

踊りの祝祭性

体が反応する音楽に順応していった日本人。
廃れていったけど今また戻ってくる感じ。

過去記事
ami-go45.hatenablog.com

輪島裕介とは

大阪大学准教授(音楽学)1974年生まれ。

団塊の世代以上の人が見たら泣いて喜ぶ特集でしたね。
ここまでで一番ノって書いた↓
ami-go45.hatenablog.com