実父
岡村時市さん。
寛平ちゃんの生まれる1ヶ月前、23歳で亡くなる。その後、再婚。
寛平ちゃんがこの事実を知ったのは12歳の時「育ててくれたオヤジには申し訳ないと思いながらも、どんなオヤジやったんやろうなと思てましたね。」
大正15年生まれ。目元が寛平ちゃんにそっくり。
「岡村様」と呼ばれる墓がいくつもあり、分家である。「岡村庄右衛門」一族の一人が放蕩を重ねたため、一番貧しい家になった。時市は家計を助けるため、15歳で四万十市の営林署に就職。18歳、海軍志願。昭和20年、佐世保の針尾海兵団に入団。
敗戦が濃厚となり、過酷なしごきの日々で結核を患い入院先で終戦を迎える。
自転車で衣料品の行商をはじめる。
社交がよくて歌が好きでうまくて、目立ちたがり。その遺伝が寛平にある。
青年団で知り合った人と結婚。※美人の方ではなかった
寛平ちゃんを身ごもったとき、23歳で結核を再発。当時の治療薬であるペニシリンは高価
「この子供を下ろそうか?にいさんが元気になったらまた子供ができるやない」
「俺絶対死なせん。産むんだ。この子は里子に出さず、しっかり育てて欲しい」
時市さんに涙見せたらあかん思ったから「赤ちゃん動いてるよ」言うて。昭和24年、時市さん死去。
寛平ちゃん誕生
間幸一さん
木材の切り出しの仕事をしていた。「人柄の良い人だから」と紹介された。何より子供を可愛がってくれるひと。
「俺とずっと暮らしてくれるつもりがあるのなら、時市さんのことは忘れてくれ」「わかった」言うて、写真も全部剥がしましたわ。写真は時市さんの妹へ。
おふくろもかわいそうやけど、おやじもすごいかわいそうな目に遭うたんやな、思って。僕ら小さい時、病気になったら、村やから 隔離するとこがあった。それをまた思い出して。それが(時市さんが亡くなった)そこやったんやな。疲れましたわ
宿毛から宇和島~大阪
寛平ちゃんの好きな「いちごたんぽろ」なんやろ?いちごを竹の中に入れて突いて潰してた。炭鉱の仕事が減ったため、12歳の時大阪へ。
二十歳までは好きなことをしろ
幸一さんの教えには続きが。
二十歳を過ぎたらきちっと決めて、一本に打ち込め。
21歳で芸人デビュー。が、借金地獄に。
同じ夢を2回見たんですよ。瀬古選手とデッドヒートしてる夢。それを話したら、めだかちゃんが「いっぺん走ってみたら」いうのがきっかけで。番組で追っかけるから、いっぺん走ってみい、と。もうこれあかん、もうあかんと思ったとき後ろからバンバン押してくれるわけですよ。風みたいのが。
時市さんも足が速かった。
幸一さんは体調を崩し入退院を繰り返す。点滴の針を抜いてしまったが「ごめんごめん!」「ギャグやったら許したる」「アメマ!」「それあかん」「かい~の」
起き上がるのも辛い状況の中、一生懸命起きようとしてた。
「似てる言われてるけど、血ぃつながってないんや」「わからんかったやろ」自信のある表情だった。
平成24年、82歳で死去。
じわじわしみる話。
おまえは、わしのほんまの子や、ほんまの子やで
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