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【抜粋・感想】ファミリーヒストリー 伊達みきお

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サンドウィッチマンでデビューする時、父に「伊達の名前を使うな」と言われた。

特にウチの親父は厳しかったですから「そのまま、伊達でやんのか?」と言われた気がしますね。

高校生の時に渡された家系図には伊達政宗の名前が。全く関係なかったとしても、調べてみたいです。

伊達政宗には弟「宗行」がいた。

分家し、大條(おおえた)宗行を名乗る。この弟がみきおのルーツ。分家後移り住んだ地名「大條」を姓にした。

大條→伊達に姓が戻る。
仙台に伊達宗行さん在住。(85歳・大條伊達家第20代当主)「ちょうど今年で600年になります」

大條家の力もあったし、伊達家の信頼もあった。優秀な家来だったのでは。

戊辰戦争

戦争で取り潰しの危機に直面した際、仙台藩が新政府軍との交渉にあたったのが大條道徳(みきおの4代前、高祖父)27歳で仙台藩の家老職にあたる奉行を務める。

伊達家の家名を潰さないように存続させることが絶対条件。

道徳と木戸孝允の会談の結果、仙台藩の存続は認められた。大條から伊達の姓名に戻すように命じられる。

論功行賞だったと思います。激動の時代からいかにして、仙台藩の名誉と実益を守るかが最大の問題。それに対し目前の殿様を守ること、これらを全部含めて交渉をし成功させた(20代当主談)

伊達市の中にお城(大條城)があって、そのお城の中にご先祖様が住んでたんだぞ、と聞かされていた。今すぐ行きたいです」

祖父忠亮さん

その父亮治さんは裁判官だが、祖父は司法試験に失敗。満州重工業開発(株)に就職。中国東北部に渡る。文書作成や管理を任される。日本に戻り仙台に帰省。伊達家御用達の老舗、勝山酒造の娘・時子さんとお見合い。結婚。

昭和20年敗戦。忠亮さんは列車内で中国人労働者らしい者に捕まり、身ぐるみ剥がされ列車の窓から投げ捨てられる。高粱畑を走りまわり、2週間後自宅へたどり着くもソ連軍に連行されシベリアへ強制労働。

一人背負ひ一人手を引き駆け寄りし妻は銃剣に突き戻されぬ

妻は男装したり書道具などを売って苦労しながら、子供二人を連れて酒蔵に戻る。夫の実家・伊達家に向かい、3世帯が身を寄せ合い暮らすことに。

のち忠亮さん帰還

みきお23歳の時、忠亮さん亡くなる。富澤たけしと仙台を出る決意を父に話すと反対され。
父「チャラチャラというのが好きじゃないんです。漫才とかお笑いは仙台弁で『こばかくさい』(ばからしい)やるなら別の名前を使え、恥ずかしいという気持ちはありました」最初のコンビ名「親不孝」