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人生案内メモ、文字起こし、感想。

ファミリーヒストリー 中村雅俊 母方・木村家に力士・荒熊五郎治?

木村家(母方)

熊五郎治?

※他家から出た可能性もあり。
鷲神村。高祖父・八三郎の兄。本名は八五郎。本当は木村家を継ぐ長男だった。
12代将軍・徳川家慶の前で行われた上覧相撲に出ていた。のち、力之輔としこ名を変え、小結に昇進。1854年、ペリー来航の際にも駆り出され、水兵と相撲をとったりした。引退後は伊勢ケ浜部屋の親方。

高祖父・八三郎

1700坪の田を所有。

祖父・幸三郎

父(=八三郎の息子)英治は莫大な収入があったが、博打で財産の大半をすっからかんに。幸三郎は養蚕業で家族を養った

やい子(雅俊の母)

10代半ばで上京。良家の屋敷で行儀見習い。最初の見合いは両親の反対でうまくいかなかった。

幸一に一目惚れされ、昭和17年結婚。

長男が生まれるも幼くしてはしかで亡くなる。
33歳の時、3人の子を残し夫・幸一が病死。3人の子供と心中しようとタクシーに乗るが運転手に諭され思いとどまる。行商(ホヤの加工)を経て、自宅を改装し小さな雑貨店を始める。

雅俊中学生の時、知人の保証人となり多額の借金を抱える。雑貨屋の片隅で飲み屋を始めた。
平成2年、民謡民舞春季大会(両国国技館)出場。新相馬節を歌う。
震災から5年後、94歳で死去

中村家

又兵衛(五代前)

江島には政治犯が送られていた。流刑地。又兵衛は漁師、石巻市・崇徳寺から檀家のまま江島に移り住む。天保の大飢饉。漁業に従事しながら寺の運営に寄与した。長男は村の有力者と結婚。

幸太郎(祖父)/幸一(父)

十代半ばで江島を離れ、雇われ漁師としてカツオ漁を。漁がないときの生活は苦しかった。大正4年、22歳の時幸一(父)誕生。産んだ母はまもなく死去。幸一は亡くなった妻の実家に預けられた。7年後幸太郎は再婚。弟や妹が生まれてからの幸一は継母に気を使うように。尋常小学校卒業後は異母兄弟を慮り、進学を諦め、幸太郎とともに鰹節職人に

昭和6年、満州事変。21歳になった幸一は召集される。ハルビンで警備にあたった後、訓練所の教官として呼び戻される。昭和15年、満期除隊で女川に帰り、再び鰹節職人に。やい子と結婚。昭和30年、雅俊4歳の時、40歳で狭心症のため死去。