木村家(母方)
荒熊五郎治?
※他家から出た可能性もあり。
鷲神村。高祖父・八三郎の兄。本名は八五郎。本当は木村家を継ぐ長男だった。
12代将軍・徳川家慶の前で行われた上覧相撲に出ていた。のち、力之輔としこ名を変え、小結に昇進。1854年、ペリー来航の際にも駆り出され、水兵と相撲をとったりした。引退後は伊勢ケ浜部屋の親方。
高祖父・八三郎
1700坪の田を所有。
祖父・幸三郎
父(=八三郎の息子)英治は莫大な収入があったが、博打で財産の大半をすっからかんに。幸三郎は養蚕業で家族を養った
中村家
幸太郎(祖父)/幸一(父)
十代半ばで江島を離れ、雇われ漁師としてカツオ漁を。漁がないときの生活は苦しかった。大正4年、22歳の時幸一(父)誕生。産んだ母はまもなく死去。幸一は亡くなった妻の実家に預けられた。7年後幸太郎は再婚。弟や妹が生まれてからの幸一は継母に気を使うように。尋常小学校卒業後は異母兄弟を慮り、進学を諦め、幸太郎とともに鰹節職人に
昭和6年、満州事変。21歳になった幸一は召集される。ハルビンで警備にあたった後、訓練所の教官として呼び戻される。昭和15年、満期除隊で女川に帰り、再び鰹節職人に。やい子と結婚。昭和30年、雅俊4歳の時、40歳で狭心症のため死去。
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88年、ライブに行った。終わったあとのファンクラブの飲み会(ご本人も一緒)行きたかったが行けなかったのは未だに後悔。