1970年
宝島
73年創刊
POPEYE
76年創刊
赤田祐一:自分たちの体験のよりどころ、基礎をカタログ形式で作ってる。カウンターカルチャーの思想が「宝島」
「ポパイ」は無思想。無思想って思想なんだけど楽しくやろうぜっていう。その時代においては新しかったんですよ。
宮沢:POPEYEってPOP、EYEじゃないですか。その視点がポップである。宝島とは違う。頭でモノを考えるよりも体が大事だ、知性主義から反知性主義へ。雑誌、例えば朝日ジャーナル、世界みたいな論壇誌とは違う。宝島には知性があるけど、何が違ったかっていうと「ビジュアル」
風間俊介:だんだんレイアウトや写真にこだわったりとか、スタイルが大事になってきたって変化ですか?
宮沢:それ自体がメッセージであると。言葉だけじゃない。レイアウト自体がメッセージ。あるいは写真自体がメッセージ。
ホール・アース・カタログ
1968年創刊
ポパイ、宝島が影響を受けたとされる。
スチュアート・ブランド
ヒッピー世代の若者のためにアイデアを思いつく。
若者たちはコミューンを作り、独自のカルチャーを生み出そうとした。自分達で家を建て有機農業をする、画期的な試み。そこで彼らに役立つ道具やテクニックを紹介する雑誌を作った。
72年には大ベストセラー。スティーブ・ジョブズも愛読。
【オーディオブック】ハングリーであれ、愚かであれ。 - YouTube
石川次郎:編集方法としてのカタログもあるんだなって。
ポパイの原型は1975年「メイド・イン・USAカタログ」10万部のベストセラーに。
宮沢:カタログってものが「我々に必要なものが載ってない」てとこから、それに対抗する意識があったと思う。
中川翔子:コミューンって知らなかったですね。
宮沢:知らなかった?日本にもあったんですよ。
中川:まさか裸にはなってないですよね?
宮沢:なってたんじゃないですか?
中川:怒られそう。
宮沢:スクリーンセーバーってあるじゃないですか。多くはヒッピーカルチャー、サイケデリックですよ。ヒッピーは思想、生活のスタイル。
京都や長野にヒッピーのコミューンがあった。80年代まではいたらしい。
ヒッピーといえば
忌野清志郎 ヒッピーに捧ぐ - YouTube
雑誌ワンダーランド
だぶだぼ(1970)
「マリワナ栽培の仕方」など過激な特集も。ホールアースカタログの影響で突如カタログ形式に。雑誌サイズ、内容ともにコロコロ変える。
面白半分(1971)
野坂昭如「検事は恐山のイタコか」←タイトルが(絶句)半年ごとに編集長が替わる異色の雑誌。面白くてためにならないモノを体現。編集者たちには「夢の時代」だったわけで。