認知症の母へ
よくボケてくれました
2015・5.14放送
一気に見るのは何かしら辛い。録画して少しづつ見ていたら、日曜日になってしまった。
10年前に認知症になるまでは、私の作品を逐一読んでたんですよ。
それをしなくなってくれたおかげで「母が嫌がるかな」「母が傷つくかな」と思い、書けなかったことが書けるようになった。覚悟がいりましたね。「どれも自分のことだ」って引き受けないといけないし。母に対する気持ちを整理することができなかったんですね。書くことで初めて整理をつけられた。
文章を書く、絵をかく、物事に対して驚きの目を持つ。そういうのを作ってくれたのは母。
そういう強烈なものがなかったら、私のようなのんべんだらりとした性格の者は物書きはできなかったし、続けられなかったと思いますね。
確執。
38歳の作家と、78歳の母
母の期待に沿い、応えることが娘の務めだった。たまたま気の利いたことができると「えらい、さすがはお母ちゃんの子や」と褒められた。いささか皮肉な話だが、そういった経験の積み重ねが教師うけのする読書感想文や、小論文を書く訓練につながった気がする。
あ、経験がある。自分は絵画。父が絵を描いていたので、大人が褒めるような絵の技術体得。文章書きはもともと好きだったので、誰の影響でもない。
日記や感想文の宿題が出ても、全く苦痛じゃなかったし、気持ちが先走ってしまって、鉛筆が追いつかずもどかしく、400字詰めに収める作業を窮屈に感じていた。
西堀アナウンサーが朗読。かなりの分量を読んでいたので、内容が内容だけに見終わるとヘビーな気持ちになった。6匹の子犬を巡るエピソードとかな。親の嘘は見破れるもの。
あれは躾じゃない、調教。のばしておいて、へし折る。与えておいて、取り上げる。いつだって罰の方が大きいの。
母の呪縛から自由になりたくて、母が一番嫌がるであろうタトゥーを刻んだ村山さん。
母の顔を見て優等生ぶってきたので、物書きっていうのは人でなしの仕事だって刻みつけとかないとダメだ、と。娘は母を切り捨てようとすると悪い子になってしまう。認知症になって肩透かしを食らった気分。勝手にリングを降りちゃってずるい、お腹を打ち割って話をする機会は2度とないのだなと思った。
おまけ
荒木由美子は義母が認知症。
新聞記事には新田恵利が母の介護とあったし ※2018.8追記 同番組で放送
一番のショックは大山のぶ代。昭和11年ではなく、昭和8年生まれだったことまで明かされた。
今日の新聞記事には「連絡絶つ娘 母ショック」自分もそうだけど、遅れてやってきた反抗期なのよ。子育てってなんだろうって最近思う。親にされたことと同じことをしないと思いながら、やってしまうのだろう。連鎖のように。最近は時々意識して連絡を取るようにしてる。お互いに猫が好きなので、一緒に猫カフェにも行ったし。あの日は母の日だった。
人は必ず誰かの子供として生まれてくる。
どんなに親を拒絶しようと、自分がその人の子どもだという事実をまるごと否定することはできない。「放蕩記」より