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スイッチインタビュー達人達 小林信彦×細野晴臣 大滝詠一との出会い 日本の喜劇人

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日本の喜劇人

大滝詠一との出会い

細野:20代のころに「日本の喜劇人」読んで、ずっと気になっていて。日本ではコメディの記録とかアーカイブがなかなかないんですよね。そうすると小林さんのような、記憶の中にあるデータが非常に大事なんです。きっかけを知りたいんですけど

小林:永六輔と知り合いになったんで、なんとなくあの人にくっついていって、NHK行って「夢であいましょう」に。まあ永六輔が(人を)見つけるのが早いから。私のところに電話して「夢であいましょう」4週出てくださいって。続けて出たんです。日本でギャグていうのは、あまり書いた人いないから

細野:大滝詠一君とは、どうやって知り合ったんですか?
小林:本屋がありますよね、新宿の。あそこの2階に喫茶店があった頃があったんですよ。大滝さんの歌が流れてた。ご存じかどうか、相倉(久人、音楽評論家)さんて。あの方が「これ誰の歌だかわかるか?今はやってんだよ。大滝さんがあなたのファンだから」日本の喜劇人の本を大瀧さんに送ったら、すぐハガキが来た。「あなた(小林さん)にあいたい」って

細野:僕が20代で読んだ本を、大滝詠一も読んでいた

小林:僕も大滝さんも二人とも喜劇が好きで「まずは、谷啓に会うといい。植木さんは偉い人だから、谷啓さんの方が楽だ」と。
細野:ミュージシャンぽい人ですよね
小林:谷啓さんは「ミュージシャンが来る」ってんで、ギンギンに張り切っちゃって(笑)ちょっと言いにくいんだけど、人のオナラで音を並べて、

細野:音楽がありますね、そういうの
小林:それが谷啓さんのところにあった。谷啓は「これを聞かせます」と言ってね。大滝はそれはうれしくないだろう

映画を聴きましょう

父の影響

細野:父親が、小林さんより上の世代なんですよ。非常に映画好きだったんですね。いろんなギャグを僕に教えてくれた。だいたい、ローレル&ハーディーのネタだったんじゃないかと思うんですけど。例えば雪のとか。ちっちゃい頃も、写真撮るよ、って言われて真面目な顔で撮ったことないんですよ。いつも変な顔ばかり。根っこが僕はやっぱりコメディアンなのかな。知らなかったんですけど、マックス・ウォールって人がいて、非常に奇怪な動きをするっていうね「シリーウォーク」バカな歩き方が彼らすごく好きなんですよ。僕もそうなんですよ。バカな歩き方は一生懸命勉強しました。

家に蓄音機があったんですよ。電動ですね。電気で動くSP盤の、大きなやつ。隣が祖父の家でそこにあった。SP盤がいっぱい並んでるんですよ。ぼくは3歳ぐらいです。4賽かな。どれを選んでもいいんですけど、盤を乗っけると回転して、それが面白かったですね。針を落として、出てくる音がすごい面白くて。最初に聞いて踊りだしたのが、たぶんベニーグッドマンかジーン・クルーパー。

はっぴいえんど

小林:お世辞云うんじゃないけど、はっぴいえんどっていう名前もいい

細野:初めて褒められた(笑)名前まで言われたことないです

小林:あれはいいと思う

細野:よかったぁ。まぁ3年ぐらい続いて、実際「はっぴぃえんど」を迎えたわけですけど。ま「はっぴぃ」かどうかは、ちょっと定かじゃない

小林:いかにも最後という感じにならないで終わるでしょ、大滝さんと最後はなんかいまいちっていうか

細野:歯切れの悪い解散

小林:ちょっとあれは、なんかあったのかなと
細野:特に何か大それたことはないんですけど、やっぱりこう、あの時代は、3年やったらもう十分なんですよね。燃え尽きるっていうか。商売とは思ってなかったんで。「いいものを作りたい」ってだけなんですよね。3枚作って「完成だ!!」それで何となく重力が減っていったというか、散らばってったというだけですよね




映画を聴きましょう