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【抜粋】ハートネットTV 斎藤環インタビュー コロナ時計と離人感 対話と会話の違い

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社会の変化で気になることは

コロナピューリタニズム

不潔な事を避けるとか、3密を避けるとか、あるいはソーシャルディスタンス。もともと医学的な要請なんですよね。そうすることによって感染を避けられますよ、マスクもそうなんですけど。ところがだんだんと道徳的な規範になっている。医学のはずなのに道徳になってしまっている。コロナピューリタニズムと名付けたんですけども。規範意識が定着して、外で遊んだ人にもイライラして腹が立つとか、連休中に沖縄行ったって聞くと非常に腹が立つ、あるいは県をまたいで移動したりするとそこに批判が殺到したり、ちょっと過剰な正義。医学上の配慮だったものがいつの間にか「正義」にすり替わっている。みんなで責めるとか、ちょっと殺伐とした雰囲気になっている印象がありますね

コロナピューリタニズム....自分が感染している前提でふるまえ、という新たな倫理観社会がギスギスしている

※2020.6.2人生案内でも「人前でくしゃみ 不作法では?」相談者はマスクをしていても人前でくしゃみをするのは恥ずかしい行為、てんしき(転失気=落語でいうところのおなら)も同様、と断罪。一億総潔癖化のようで読んでて苦しくなった。なお回答の出久根達郎さんも「マスクの有無にかかわらずマナーに反する恥ずかしい行為」と同意。正論には違いないが、マスクとは、そも飛沫を防ぐため。つけていてどうしても出てしまった場合でも許せないというのは生きづらくないか

退行

白黒思考

引きこもり生活が長くなってきますと、意識の幅が狭くなってくる。考え方の振幅が狭くなる。退行と言いまして、子供に返る、気持ちの有り様が若干幼稚化してくる。誰しも経験すると思うんですね。退行した思考とはどういうことかというと、白黒思考。0か100かという極端な発想に近づく。間違った人を責めたり、激しい怒りを感じる傾向につながりやすい。

投影性同一視

自分の中にあるイライラを、周りの人が自分に対して不快感を持っている、怒っていると錯覚してしまう。これがあると家庭内の夫婦喧嘩とか、極端に言うとDV、虐待につながりやすい。密室に長期間家族がずーっといるのは、やっぱりストレスが溜まりますし。イライラ、怒りが爆発して虐待やDVにつながってしまうことを痛感しています。

コロナ時計

対話ができない

対話ができないですよねえ。顔を見合わせながら、3密な距離で言葉を交わす行為だったんだなあと改めていま痛感しています。とにかく会えない。近づけない。マスクをしないといけないので表情が読めない。手足縛られちゃった感じですよね。本当に対話が難しいな、と。

コロナ時計と呼んでるんですけども、いま世界中の進み方がかなり同一になっている。具体的には感染者数何人になったとか、死者数何人、ロックダウン、外出を控えましょう、そういったニュースで時間が同期しちゃってる。かなり特殊な時間の進み方に対して、みんなが一致団結してる。これがなんでまずいかというと、今回私わかったんですけども、個人の時間の流れというのは、大事な時間の傍らに、個人の時間がいっぱい流れてる。時間線と呼んでるんですけども、結ぶ時間線を束ねてる中で、一つのまとまった時間が流れてる。コロナ時計という非常にシンプルな時間の流れに統一されちゃったんで、個人が持っている、あるいは地域が持っている、国ごとに持っている別のタイプの時間が流れていたのに全部押さえ込まれちゃった。すごく貧しい時間の流れのことをコロナ時計といいます。前後関係とか、過去の記憶に対する感覚が鈍ってくることを、今回自分自身の経験で実感しました。
単純な時間の流れだけに身をゆだねすぎると、結構危険かも知れない。

離人

自分も時間の感覚がおかしい。3月4月の遠近感の感覚、記憶の遠近感があいまいになってきまして、リアリティがない。こういう経験は今までなかった。あまり現実感がないというか、手応えがないというか。自分で自分の気持ちを奮起させようとやってみるんですけど、ちょっと踏ん張りどころがない。長く続いた自粛生活、引きこもり生活の副作用、影響じゃないかと痛感しているところです。離人感というんですけど、自分が離人症ぽいっていうか。自己診断なんですけどね。

対話と会話の違い

家の中で不要不急なことや、非生産的なことも含めて増やしていくことで、自分の時間の手応えを回復できるのでは。今こそ対話を。家族間で対話を増やしていく。この場合は対話。会話と違うことが前提です。会話は、合意を目指す、結論を出すこと。それはしないほうがいい。対話は結論を出さない。合意もしなくていい。もっというと、議論とか説得とか、アドバイス抜きで言葉を交わすこと。違いを理解し受け入れる。説得やアドバイスは、患者さんのしたいこと、主体性や自発性を抑圧してしまう傾向がある。誰の意見も尊重する空間を作ると余白が生まれてくる。余白の中で患者さんは、主体性や自発性を回復しやすくなる。精神疾患において一番大事にしているのは、自発性と主体性の回復。

家族、子供や奥さんと、できるだけ中身のない、くだらない、不要不急ののんきなおしゃべりをする。対話の目的は対話を継続すること。結論が出ないほうがいい。延々とおしゃべりをする。毛づくろい。情報量がなく、お互い親密な関係であることを再確認するような。毛づくろいには情報量がない。それをすることで親密な関係を確かめてますよね、お猿は。そういう対話をやっていただきたい

オープンダイアローグ...薬物療法ではなく、患者が話したいことについて対話する治療法。

よかった。どんな解説より腑に落ちる。夫と同年代か。もっと年上かと思ってた(失礼)

その世界の猫隅に

その世界の猫隅に

オープンダイアローグとは何か

オープンダイアローグとは何か

  • 作者:斎藤環
  • 発売日: 2015/06/22
  • メディア: 単行本

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