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サワコの朝 宮本信子 伊丹十三を語る

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タンポポ、ニューヨークへ行く

前衛的な映画だった

宮本 アメリカで伊丹映画がDVDとして発売されるってことで、タンポポを4K、画面きれいにして、ニューヨークの劇場でお客さんに入っていただいて。もうね、すっごく感動しました。タンポポが日本で上映されたときは、本当に、どうしてゴローさんが帽子かぶってお風呂に入るんだ!(笑)どうしてって、これは面白いと伊丹さんは思ってるんだけど、そういう感じ。びっくりしたんじゃないですかねぇ。なんか受け入れるのに時間がかかったと。

阿川 時代を先取りしちゃった
宮本 10年以上先ですね。伊丹さんのしたことって。そう思ってますけど。
阿川 25回見た人もいる
宮本 ハナっから楽しんで、みなさんクスクス笑って。これをね、わかってるかなぁ
阿川 空から見てる

お葬式

監督デビュー作

宮本 映画は撮りたくないなんて言ってた人が。やっぱり、伊丹万作の息子であるとか「いやぁそれはちょっと」って、距離を置いていたんだと。私の父が亡くなって、火葬場の煙突の煙見て「これは映画になる」と伊丹さんが(笑)何故かうちの親戚の方にユニークな方が多くて、これは映画になると思ったんじゃないかって
阿川 本当のお葬式は面白いと、伊丹さんが観察なさった
宮本 よく話し合ってる夫婦だったので。まぁよく気持ちはわかる
阿川 年は結構離れてらっしゃる
宮本 そう、一回り違うんですね
阿川 気が合われた
宮本 合われたっていうか、先生ですからねえ

マルサの女

厳選

かつら選びの映像。

いっぱいあるんですよ。かつらのいろんなものが。普通のウィッグと。ネクタイだったら50本ぐらいパーっと。その中からこれじゃないといけないってものを選びます。それはやっぱりお金もかかるし、手間もかかるし、それが映画を豊かにしていく。そのことはいつも言ってました。「これだけしかないんですけど」「それは、ないでしょ?」3日ぐらいかかって100着ぐらい着ますから。それやると役がだんだん分かってくるんですよ、俳優って。これってこうなのかしらと。それはすごく大事。

阿川 ワンシーンも長かったじゃないですか、津川雅彦さんと二人で泣いてらしたんでしょ
宮本 そうなの、いつもねぇ、もうすっごいですよ。ダメ出しも位置も何もかも。ワンシーン動きますから。カメラが行っても照明はこのままだから、この位置にこないといいライトが来ないから。10cmでもダメ。何遍も練習してね、ふたりで。あまり二人で練習しないでね、って言われるんです。でも何度やっても同じにできないと、初めてやったかのように思うので。勉強させていただきました。

伊丹十三を語る

大好きだった編集作業

編集大好き。だって誰も邪魔されないっていう。天気は邪魔しない、俳優がNGを出す出さないもない、あとはよくなるばっかり。編集の鈴木晄さん(すずきあきら 2014年死去。「春琴抄」「エデンの海」「セーラー服と機関銃」「蘇える金狼」など)と二人で楽しそうにやってらしたわ。「今日面白いから来ない?」って私と次男が誘われる。女優さん普通行かないです(笑)編集室は。違いますから立場が。でも立場とかそういうことじゃなくて「こんな面白いことを君は知ってたほうがいいよ」って言うんですよ。だからあたし、ああ、ちょっと違うことがしたい、家の中のことがしたい、それでも「はい」って。嫌とは言えない。抵抗はできない、先生だから。行ってずーっと見てて。「ここ、ほら、ちょっと切るんだよ」「はぁ」全然わかんないんですけど(笑)私は監督じゃないから。帰ると「面白かった?」必ず聞かれるから「はい!おもしろかった」(笑)すごい素直なんですあたし。(次男にも)聞きますよ。お風呂で「面白かったろ?」「うん」(笑)子供に見せたかったんでしょうね。
一日かけたセットなんか、全部作り変えるんですよ。それで半日かかっちゃう。

評価というより、必要とされる。評価はどうでもいい。若い頃はそんなことなかった。もちろん評価されたら嬉しい。でもあるときから、もうそれはいい...って。

喪失感

監督の死をどう乗り越えたか

考えない。冷凍庫に入れる。その気持ちは。イメージです。悲しいとか辛いとか心細いとか、そういうの全部言わない。冷凍庫の中に押し込んで、冷凍さす。前向く。そうでないと子供もまだ、二人いますから。それはそれ、これはこれでやらないとダメでしょうねえって、自分で思ってるんですよ。もう仕事決めてましたから、次の。あたしが主役の連ドラで。シングルマザーで、お嫁に行ったその日に旦那さんが亡くなる設定なの。なんか合いますよね。大山勝美さんがプロデューサーで。やめて降りてもいいっておっしゃってくださったんです。でもあたしやります、って。女優だから約束しましたからやりますって。それが良かった。その選択が良かったんだと思います(やめて家にいたら)危ないです。やるって。
※98年「飛んで火に入る春の蝶」
飛んで火に入る春の嫁 - Wikipedia

記憶の中できらめく曲は、ジャン・ピエール・ランパル「フルート・ソナタ」一緒に行ったコンサートを思い出す
今心に響く曲「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」リー・ワイリー

伊丹十三記念館、行ってみたい。

関連

この他にもまだまだおすすめしたい本があるのです「お葬式」日記、女たちよ!とか。

99年の雑誌「昭和平成 華麗なる結婚」より。1969年の元旦、初詣が結婚式。作家・山口瞳氏の自宅で三々九度の祝福を受けた、とある。豪華な婚礼衣装の写真が多い中で目を引く。伊丹さんは壁ドンではない。いいなあこの写真。


CMその他
88年。平成教育委員会でよく流れていた

ツムラ 日本の名湯 CM 1988 伊丹十三・宮本信子

パンの耳、邪険にしてるでしょ。87年

いいなCM 味の素 マヨネーズ 伊丹十三

89年。スウィートホームファミコン化「日本映画の面白男・伊丹十三が...」

[CM] CAPCOM / スウィートホーム The Famicom (Long Ver.)

ローカル。一六タルトでいちばん笑ってしまったCM

伊丹十三 一六タルトCM

89年。30年前、日曜夜7時半が楽しみだった番組。

テレビ探偵団 伊丹十三 1989 01 15