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人生案内メモ、文字起こし、感想。

SWITCH インタビュー達人達 上橋菜穂子×齋藤慶輔 野生の命と向き合う(抜粋)

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齋藤慶輔とは

世界でも数少ない、野生動物専門の獣医師。釧路でイヌワシシマフクロウなど、絶滅の恐れのある猛禽類を救う。13歳までフランスで育つ。大学卒業後、ペットの獣医師をしていたが、30歳の時北海道に移り住んだ。

物語に出てくるものは、人以外の世界と、人の世界との間を行ったり来たりしながらものを考える人。そういう人に出会ってみたい。それで齋藤先生を・・
イケメンですよね~(笑)
身を乗り出しましたけれども、そこも巨大なチェックポイント。

野生動物の心をつかむ

齋藤:今ここに入れてるのは、リハビリのため。頭の中のリハビリなんですね。野生に戻れないハンディキャップを負っている者と、ハンディキャップのない、野生に帰れる可能性のある者を一緒に入れてるんですね。この状態で、餌を限られた数だけ与えると、一番最初に食べられるのは飛べない者。慣れてますから。飛べる者は、頑張んないと餌をもらえない。例えば地面にいて人にある程度慣れていて、餌が置かれたら歩いてって。頑張って必死に生きるという頭の中の切り替え。メンタルなリハビリテーションをしなきゃいけない。みんなそっぽを向いてる。これが重要。片眼視。片っぽで自分が逃げる場所を探してる。もうちょっと人が近づいていくと、背伸びをしますね。野生の鳥はそういう行動をするんですけど、それが出来てるかどうか見るんですね。

上橋:先生は実際に経験の中で、野生の猛禽類をご覧になってますよね?どういう風に観察されて気付かれてるんでしょうか?
齋藤:まず、野生動物の発しているいろんなシグナルを捉えないとダメですよね。声だけではない、言語だけでなく仕草だったり、ちょっとした身の素振りであったり。
上橋:ノンバーバルコミュニケーション(言葉を用いない)非言語的な。
齋藤:ちょっと触ると「痛い」と声を上げる、わかりやすいですよね。猛禽は我慢するんです。でも我慢してる痛みを察知しなきゃいけない。触ると「全然痛くないよ」ってそっぽを向く。ポンッと触る。そのとき私の顔を見てる。食べてる仕草をするんですよ。口もぐもぐさせるんです。違うものに置き換えてるんです。
上橋:頭の中でね
齋藤:痛いんだけれども代償行動、違うものに置き換える。それから相手から引き出す、気づくとともに私の思っていることを動物に伝えなくてはいけないってことなんですよ。
上橋:それ難しくないですか?
齋藤:足をギューッと持つと、私の「動くなよ」という感情が相手に伝わりすぎてしまう。羽交い絞めにされて何かされてしまうかもしれないからバタバタ暴れ始める。違うんですよ。ゆっくり柔らかく持っていて、相手が動こうとした瞬間にちょっと力を加える。そうすると「あっ、動くなよ、だ。そうしたら掴まれる」後ひとつは目力(眼力)。顔を見て「動くなよ」という気迫。伝わります。相手に自分の思っている事を伝えるためには、ボディランゲージがすごく有力。
上橋:私、犬に対して目力をやろうとする時があるんですが大概反発くらいますけど。「お前喧嘩売ってんのか」って感じに。
齋藤:そういう個性のある者もいますけど、気持ちで抑えるのはすごく重要。僕は理屈じゃなくて実体験ですよ。ギューッと持ってる若い獣医師もいますけど、「ここ」と思った時ギュッと力を入れると抑えられる。上橋さんもやってらしたとお聞きしましたが、私も古武道をやってたんですね。
上橋:私投げられるの専門で、全然ダメだったんですけど。
齋藤:猛禽も同じような体の構造をしている。鷲も第一指を持って関節をつけてしまうとピクリとも動かなくなるんです。解剖学的なところとちょっとした関節技(笑)相手から引き出そうとだけするのではない。鷲は動こうとすると物凄い力で動きますから怖いですし、ちょっとした隙に人間の皮膚なんて簡単に貫通してしまうんですね

途中に継ぎ目が無いので、細かい触診のできる手袋を開発。獣医診療用、猛禽類用手袋。日陰干しすると同じ状態に戻る。

野生の猛禽を診る―獣医師・齊藤慶輔の365日

野生の猛禽を診る―獣医師・齊藤慶輔の365日

獣の奏者 外伝

上橋:あの時はゲラをお読みになったのは山の中
齋藤:そうですね、野宿しながら拝見しました(笑)
上橋:結構な長さの外伝を、野宿しながら読んでくださったのかと思うと申し訳ないと思いましたけれども。お送り頂いたときにすごく思ったのは、ひとつのことから発して、ずーっと網の目が広がっていくように、もれなく色々なことが連想して思い出されてくる。読んでいるだけでエキサイティングだったんですね。ただひとつだけ、私が書いて「これでよかったのかな」ということについてお話しておきたいと思いまして。
   

薬がよく効いたから、このパミ(ネズミのような実験動物)は、肝の蔵の病で死ぬことはない。
けれど、パミの寿命はとても短い。夏を待たずに、このパミは一生を終えるだろう。
わたしには、このパミがなにを喜びとするのか知りようもないけれど
苦しみを癒して野に離してやれたら、長いこと箱の中で使役したことへの多少の償いはできるだろう。
たとえ病を癒しても、パミは礼を言わない。それが獣の医術のいいところだ。
(中略)
病を癒すのは、獣に頼まれたからではない。自分がそうしたいから、やっているのだ。

上橋:この感覚というのは、どうなんだろうなというのをぜひ伺いたいなと。
齋藤:動物があるべきところで生活をし、あるべき生き方をして最終的に命を全うするのがとても重要で、そう導いてあげるのが必要。大学卒業してすぐ、小動物臨床をやっていました。犬とか猫。ライフワークとして野生動物医学をずっとやっておりましたから、コンパニオンアニマル、産業動物、それぞれ違った生きざまがあることを痛感したんです。犬を野山に放すと、その犬はハッピーかどうか。そうではないんですね。牛も同じ。管理の中で彼らは生きているんですね。ここに担ぎ込まれてくる野生動物、一生懸命治療して治っても、外はご飯はなかなか食べられないだろうし傷つくし。広いケージの中で毎日おいしいものをあげてこれはハッピーか?必ずしもそうではない。自分も生態系の一員の野生動物だという感覚を失ってはいけない。「人間が動物を治してあげる」頭で犬や猫を見てた時代がありました。でもやっぱりそれは、動物が動物を治してあげるのはおかしいなと。
上橋:他者が痛んでることに対しかわいそうという気持ちがなぜ生じるのか、
   とてもとても面白いと思うんですよね。
齋藤:弱っている動物を見たら「しめたっ!」と思う。これは襲える、食べられるぞと。まず直そうとは思わないわけですね。普通は。食った食われたという生態系のピラミッドに「治す」が入ると、それは生態系ではなくなるんですよね。
上橋:おかしな行動をする生き物なんですよね、人間は。

6年前出版。獣医学に関わる部分の監修は齋藤さんが手がける。

精霊の守り人

実は三週間ぐらいで書いた。当時はレンタルビデオだったんですけど、予告編の中で、燃えてるバスの中から慌てて子供の手を引いておばちゃんが出てきたんですね。主人公ではなく。その瞬間に「おばさんが子供を守って旅をする話が書きたい」と思ったんです。その時から画面が見えてない状態になり、その瞬間にバルサは槍を肩に担いでた(笑)
チャグムという名前が浮かんだ。

これは初めて話すんですが、ある時昼寝から覚めたらハッと頭の中に「違う生態系」という言葉が浮かんだ。違う二つの世界が出会ったらどうなるんだろうと。他の動物に自分の卵をあずけてしまって育てさせる生き物がいますよね。それをされてしまったらどうなんだろうと。

もし托卵された男の子が、それをされてしまったら大変まずい人間ならどうなんだろう。神の如き人間の息子なら、我が子を、さてこの父親はどうするんだろう・・

プロットというのはそういう風に立てていくんです。バルサの声も体温も感じていて、書ける。どうしてと言われても説明のしようがない。書きたいように書けないんです。物語が怒る。投げてもミットがパーンと音を立てない。とても他人の感覚があるんです。これがやってこないと書けない。書けないと編集者さんが怒るんです・・

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