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【感想少し】ファミリーヒストリー ピエール瀧 祖父は絵描き

祖父・秀治さんは謎の絵描き

※ググっても「大滝秀治」ばかり。

日本画の画家。絵描きさんを必要な瞬間ってないじゃないですか。普段生活してて、じいちゃん(秀治さん)がどう食ってたかわかんない。データがないから。

秀治さんは父・正臣さんが11歳の時亡くなっている。

万引き犯おひさ

もともと地元では有名な呉服屋を営んでいた。そこにおひさ登場。

妹が嫁入りするから反物を見せて貰ひたいと例の如く反物を数一枚出させ、その内の紬反物一反を万引きした處(ところ)を番頭に発見され駐在所に訴へられて、引致の上取り調べを受けたる

※昔の新聞記事って面白い。お経のように句読点なく流れる文章。これはこれで味がある。

秀治さん、家を出る

六男だったため。明治45年、日本工科学校入学。絵画の基礎(図画・用器画)を学ぶ。その後、画家の卵が集まる熊本へ(熊本市手取本町49番地=当時。現在は商業ビル)

画家・石村珪堂との出会い

石村珪堂は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家。竪山南風らと撮った写真が。

秀治さん26歳で結婚

大正14年熊本市三大事業記念国産共進会開催。絵画展の案内係だった関本タ子(たね)さんと知り合う。タ子の父が結婚に猛反対するも駆け落ち。正臣さん生まれる。本山町一番地、香福寺の本堂の描き換えを任された。現存する絵は1枚だけ。

山水画を得意としていたが)私は山水しか描ききらない、と言ってもダメな話でなんでも描かなきゃダメ。だから熊本だけじゃなくあちこち行って、人を訪ねて絵を描いてお金をもらっていた。

家族を連れてふるさと静岡へ

志太郡島田町(現・静岡県島田市)で暮らし始める。家賃の代わりに、頼まれた絵を描いて売り渡していた。太平洋戦争。「出征する息子のため、千人針の布に虎の絵を描いて欲しい」と頼まれる。秀治さんは終戦結核にかかり、妻と5人の子供を残し、49歳で死去。
ピエール瀧は現在48歳。

父と母

正臣さんは中学卒業後、地元の印刷会社に就職。母は中学卒業後、看護学校結核療養所 精神科の病院に勤務を移り、正臣さんと見合い結婚。

ピエール瀧誕生

1967年4月生まれ。小さい頃は体が弱かった。静岡東高校では野球部。阪神の入団テストを受けたことも。※ジャムの瓶に甲子園の砂を入れて持ち帰る。「え?これ俺の歴史。最近すぎる」

お父さん面白い「瀧家の顔は冬瓜型で長くてデカイ。」「電気ビリビリなんて理解できない」
お母さんも「今でも心配です。ああいう世界(芸能界)はわからない」

そりゃそうでしょうよ。でも母の還暦にお疲れ様とネックレスを贈る息子ピエール。真面目な番組に貼る動画じゃないけど、まぁいいか。

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